2007年07月30日
「やったつもり」は、結局は「やっていない」と同じ。
英語・英会話の本などもこれまでいろいろとご紹介していますが、ワタクシは個人的には、買ってきたそれらの本の英文に、マーカーや赤線を引っぱったり、あるいは英単語のところにグルグルと丸をしたりするのが、とても好きです。
いわゆる、本をきれいに読むタイプではなく、汚して読んだような気になっているタイプに、属しています。
ですので、語学関係の本に限っては、ブックオフ行きとなる可能性は最初からゼロですし、よほど駄作と判断したものを除いて、これまで語学関係で買った参考書は、ずっと手元に置いてあります。
ワタクシの手元には、もう10年以上前の英会話本が、いまだにたくさんあります。
それら古い本を引っ張り出してみると、10年以上前のかすれて変色したマーカーの跡が、あちこちの英文に、いっぱい引かれたままになっています。
が、それらのチェックした英文や英単語・フレーズを、じゃあ完全にモノにしているか?となると、まったくそんなことは無く、「なんでオレは、こんな英文に線を引いたんだろう」「この線を引いてある熟語、今はじめて見たような…」というモノに、実にたびたび、出くわします。
潜在記憶的は、「見たおぼえはあるが、忘れた」くらいのレベルにはなんとかたどり着いてほしいところですが、線がひっぱってあるにもかかわらず、もうまったく、見たおぼえがなかったりする。
ま、本の最終ページに至るまでマーカーの線を引ききることに夢中になり、中身がアタマに入っていない、ということを、はからずも証明しているわけですが。
ま、それは置いておくとして、本日メッセージをひとつ出すとするならば、「やったつもり」は、結局は「やっていない」んだよ、ということですかね。