2011年01月12日

英語力をつけるために~レアリアとしてのキリスト教


前回の記事を続編アリにしておいて、年をまたいでしまいました。


英語学習におけるレアリア背景知識~の大切さについて、話してましたが。


レアリアが必要な理由は、話す自分も聞く相手方も、どちらも感情を持ち思考する、生身の人間であることにつきると思います。


「英語や英会話は仕事の道具であり技術」と割り切って臨む学習アプローチを必ずしも否定はしませんが、その道具を使って反応や効果を確かめる先にいる相手もまた、アナタやワタクシと同じく長い時間を費やして、現在の自分を形成しているわけです。


母国語であろうと外国語であろうと、パターン化されたフレーズや用語を丸暗記したうえでこちらのやりたいようにアウトプットしてみることも、経験すべき大事な学習プロセスであることは言うまでもありません。


しかし、いつまでも「英語は道具に過ぎない」とか言っていると、いつか相手への関心が薄れてしまい、どうしても自分の用件を済ますことに神経が集中してきがちです。


「こちらのポイントさえ伝わればいい」「なんだか高尚なことを言ってるようだが、要するにノーということだね」などと、自分に都合よく細部を切り捨て話を端折ってしまうのが、上手なコミュニケーションであると思うようになりやすいのです。

ビジネスシーンだけならそれでも通るかもしれませんが、自分の発した英語を受け取る相手はマシンではなく同じ生身の人間であることは、やはり忘れたくないもの。


レアリアの重要性を意識しながら外国語を学ぶことは、自分のためのみならず、ひいてはその言葉を使う世界に生きる相手の人格を認め、敬意を払うことにもつながるのです。


英語学習者として知っておきたいレアリアはいくらでもありますが、前回の記事の末尾でキリスト教を知ることの重要性に触れたので、その話をします。

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英語・英会話 上達そこツボ!日記
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