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  1. 英語の上手な人にたずねるべきは、「勉強法」ではなく「学習の時間量」。
  2. 通勤電車で読んでおぼえるのにピッタリの、実用英会話フレーズ集。
  3. 「マンガでおぼえるタイプの英会話本」では、おぼえられない理由。
  4. 「英語がうまい」の、意味するところを考える。
  5. 「英語の勉強」と、首相退陣劇に共通するもの。
  6. リスニングの題材に、「街中や雑踏での英会話」をあえて選ぼう。
  7. 英会話、三人以上でするグループ会話の経験を増やしたい。
  8. 英語・英会話の学習環境づくりに、気を配ることの大切さ。


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    英語・英会話 上達そこツボ!日記
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    2007年09月28日

    英語の上手な人にたずねるべきは、「勉強法」ではなく「学習の時間量」。


    英語・英会話の勉強法は、世に星の数ほどあふれている感もありますが。

    アマノジャクな性格も災いしてか、「こうしなければ、アナタの英語は十年たっても、決してうまくはなりません!」などと断定的に書かれた広告なんぞを見かけようものなら、ついつい反発したくなってしまいます。

    確かに多くの日本人にとって、英語は外国語、異人さんの言葉ではありますが、お互い同じ生身の人間同士、言語機能面で問題無きかぎりは、みんなその国の言葉をしゃべって、人の中で日々を暮らしているわけです。

    読み書きを習えなかった結果として、文字や文章が書けないケースはままあるにせよ、およそ人と人との交流のなかで育った人間が、成長の過程において相手の話を聞き、自分の意思を表明するための「会話」をすることができない、という例は、ついぞ聞いたことがない。


    このことは、理屈のうえでは、「あらゆる人にとって言葉というものは、どんな方法をとろうとも、最終的には身につけることが原理的に可能」であることを、示しているはずです。

    このブログでも、前から折にふれ書いていることではありますが、「どうやるか」のテクニック面よりは、「どれだけやったか」という時間投下量のほうが、本質的には大事な問題と、ワタクシは考えております。

    日本語環境から離れアメリカで何年も暮らせば、必然的に英会話はうまくなってくるし、日本人と結婚して日本で暮らしている英米人も、日本語がうまくなってくる。
    モンゴルからきて相撲部屋でかんづめになり稽古して、日本で相撲をとっている力士も、日本語がうまくなってくる。

    上達における程度の差こそあれ、ある意味ではみんな、アタリマエの話です。

    環境面でその言語圏にどっぷりつかるということは、すなわちその言語に対する接触時間、すなわち「時間投下量」が一挙に大きく増加することになるので。


    だから本質をつきつめれば、英語・英会話上達のためのたっぷりとした時間をアナタが持っていて、それをすべて投下できるならば、どんなアプローチをとったところでたどりつく結果についてはたいして差がないのです。

    「こうしなければ、うまくならない」という外国語学習法はその意味では存在しないし、学習への投下時間量をないがしろにして「たった×日で話せるようになる方法がある」式の広告だけに目をとられていると、英会話で商売する側の人たちを喜ばせるだけ。

    アナタはさんざんおカネを使った挙句、あんまり嬉しくない結果に終わるのがオチなわけです。

    ちまたの英語・英会話の上達ハウツーは、つまるところ、「学習効率をあげるテクニックを身につけることによって、手持ち時間の少なさをなんとかカバーしようとするための試みにすぎない」、とすら言えるでしょう…。

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    英語・英会話 上達そこツボ!日記

    2007年09月25日

    通勤電車で読んでおぼえるのにピッタリの、実用英会話フレーズ集。


    ワタクシは自分で買った本のなかで、「これはイイ!」と気に入ったものだけ、この「そこツボ!」で、ときおりオススメするようにしているのですが。

    自己分析の結果、自らがオススメする本の傾向として、「英会話フレーズ集、しかも一冊に300フレーズ前後が収められているくらいのサイズのもの」を、とりわけ好んで紹介している場合が多いことに、気づきました。

    だんだん分厚い本や長文ものをこなす気力や体力が、薄れてきているんでないの…と、ワレながら内心、チョッと気にしてはいるんですが。


    ま、それはともかく、今回も一冊、オススメします。

    つい最近でたばかりの、新刊のようですね。
    千円札一枚で買えるにしては、お買い得感が高かったように思いました。

    「このニュアンス 英語にできますか?」 (ヴォリューム・エイト著、成美堂出版、998円)

    著者は名を明らかにしていませんが、日本人であることだけは、絶対に間違いないですね。

    しかも、おそらく、ビジネスマンなんじゃないかな。
    サラリーマンが日常で使うフレーズのチョイスなどは、実に、ツボにはまってますしね。

    オススメの理由としては、日々をこの日本で暮らす日本人でなければなかなか気づかないような微妙なニュアンスを含む日本語表現が、たくさん収められているからです。

    ”日常の生活で使われる日本語を英語にすると、何と言うか”という視点で編集された英会話フレーズ集は、それこそ掃いて捨てるほどありますよね。

    それらの本ではほとんど見たことがないような表現も、この本には結構入っているのですが、それにもかかわらず、この本にのっているような言い回しを確かに普段よく使っていることに、言われてみてあらためて気づく。

    一読して、そんな風に感じる本なのですね。


    会話のボディを構成する表現ではないけれど、つなぎ目となり潤滑油となって会話そのものが走っていくのには欠かせない、フレーズや言い回し。
    それらをスムーズに英語で言えたなら、どれだけ会話するのが楽になるかは、容易に想像がつきますよね。

    まずは書店で、別の日常英会話フレーズ本とも比べて、チェックしてみていただきたいのですが、たとえば、こんな表現が入っています…;

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    2007年09月22日

    「マンガでおぼえるタイプの英会話本」では、おぼえられない理由。


    英会話本がたまって何となくごちゃついてきた書棚を整理していると、「島耕作の成功するビジネス英会話」というタイトルの本が棚の奥から出てきたので、なつかしくなってつい、読み直してしまいました。

    いつ、どういう意図で買ったのかはまったくおぼえてませんが、奥付が初版1999年の第一刷ですから、どうやら8年近く前に、買った本のようです。

    島耕作が課長の時です。今は昇進して、専務(常務?)でしたっけ。

    ま、それはいいんですが、ともかく、「マンガの吹き出しの日本語のセリフを、ナチュラルな英語に置き換えたら、こうなるよ」というスタイルの英会話学習本です。

    いまや購入動機などすっかり忘れてはいますが、推量するに、「ビジネスの英会話シーンで出てくるようなごく自然な英会話フレーズを、たくさんおぼえたい」、と思っていた矢先に、「マンガのセリフ形式でおぼえるならば、きっとごく自然にアタマの中に入ってくるだろう」という期待感から、これを買ったんじゃないかと、思うんですね。

    ところが、ですね。

    この本はいまだ持ってはいるものの、もくろみとしては大はずれで、これが全然、アタマに入ってこなかったんですよ。
    二・三箇所アンダーラインを引いた跡があるものの、他のページは、もう新品同様にキレイです。

    「こういうスタイルは自分に合わない」と途中で気がついて、さっさと止めちゃったんですね、きっと。

    最初にお断りしておきますと、この本だけがどうこう、というんじゃないですよ。

    途中で放り投げた本は、もう数知れずですし。それにこの本、内容自体はきっちりしてますから、ちゃんとやったら、もしかしてそれなりに効果があがったかもしれません。

    ただ、このように「好きなマンガを使って、楽しく英語をおぼえよう」というスタイルそのものが自分にはダメだったのだと、今となっては思います。

    効果がありそうに、当時は思えたんでしょうね。

    ほら、「マンガやイラストなどの視覚イメージがセットになっていると、英単語もおぼえやすい」って、ちまたの英会話教材とかでもアドバイスされてませんか?

    でも、ダメなんですよね。少なくとも、ワタクシの場合は。

    あとで思いだすことができるのは、そのとき印象に残ったシーンの絵柄や構図だけなんですよ。

    その絵にくっついてた英語のセリフがでてこないし、マンガで登場していておぼえたはずのそのフレーズが、いざ自分の日常の現実となると、ちっとも脳裏に浮かんでこない。

    思うに、ですね。

    たぶんマンガを使うと、アタマの中に思い描くイメージが、そのマンガの一コマの構図・風景にあまりにも強く固定されてしまって、他の似たような現実の場面に遭遇したときに、強烈な絵柄がいの一番に浮かんできてしまって、セットになっていたはずの英語フレーズがアタマの片隅に押しやられてしまうことで、真っ先にイメージするのが、かえって難しくなっているんじゃないか?

    そんなふうに、ひとりよがりな仮説をたてているんですよね…。

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    2007年09月18日

    「英語がうまい」の、意味するところを考える。


    「あのヒトは英語が上手だ。」といった類の、ホメ言葉がありますよね。

    はやくこう言われるようになりたいものだ、と内心思いながら、勉強を続けている方も、いらっしゃるかと思います。
    ワタクシも、大学生の頃なぞは単純にそんなことを考えて、昼下がりの学食の片隅で、英単語帳などを広げていたものです。

    いま振り返ってみると、「痩せたい」「お金持ちになりたい」「美しくなりたい」などと思うのと一緒で、そういうシンプルな願望を持つこと自体、それはそれで悪くないとは思うのですが。

    ただ、よく考えてみると、これってあんまり芯のない、フワフワとした、今ひとつ掘り込みの浅い表現のような気もします。


    これは最初の文の、「英語が」を「日本語が」に置き換えてみると、なんとなく共感いただけると思うのですが。

    「あのヒトは日本語が上手だ。」

    この場合、相手がノン・ジャパニーズの場合は、普通はストレートな賞賛となるわけですが、たいていの場合は、日本語会話がペラペラで、日本人的な感覚の機微にも通じているとこちら側が感じたような場合に、あまり深く追求もせずに、そのようにホメるケースが多いかと思います。
    そうでしょう?

    ところで、日本人である自分が、「日本語が上手だ」とホメられたとしたら、どうお感じになりますか?

    「いや、だってオレ(ワタシ)、日本人だし…アタリマエじゃ?いったい何が上手だと思って、このヒトはホメてるんだろ?話し方かな?たとえ話が、ひょっとしてツボにはまったかな?それとも、話の中身が濃いということ?きれいな言葉使いでも、したかしら。そういや、遠縁がNHKのローカル局の元アナウンサーだったし、もしかして血筋ってヤツか?」などと、妄想を多少交えながらも、「日本語の『どこが』上手だったのか」についての具体的な追求を、アタマの中ではじめたりするんじゃないでしょうか。

    最初の、ノン・ジャパニーズの日本語に対する賞賛と比べて、明らかにホメる対象が、より具体的で深いところの一部分を見ている、と思うんですね。

    つまり、「自分の日本語の運用力の、どこか具体的な一部分が優れているからこそ、ホメられたのだ」と、反射的に思うわけですね。


    これはすなわち、言葉は、そもそもこんな風に「分析的に評価する」ことが可能なものだ、ということです。

    個別項目における評価ポイントの積み上げで、総合点がはじきだされるのであって、逆ではない。

    最初に「アナタ、英語がウマイね。95点!」などと先に総合点をつけて、それから内訳を考えていくのは、理屈のうえではおかしいですよね…。

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    2007年09月14日

    「英語の勉強」と、首相退陣劇に共通するもの。


    英語・英会話の学習とストレートには結びつかない話かもしれませんが、学習者にとっての本質に関わる大事なことだと思いますので、書きます。


    おととい、外出先から戻ってテレビをつけると、いきなり「安倍総理 退陣表明」のテロップが目に飛び込んできました。
    所信表明演説から日も経たないうちの辞任表明に、皆さんもさぞ、驚かれたことと思います。

    突然の退陣の真の理由は、まだ今ひとつ、はっきりしないようですが。
    しかしながら、日本国にとって課題が山積する状況下、「突然すべてを放り出すようにして」辞めた形になったことによって、一国のトップとして無責任だという印象を、国民に強く植えつけてしまったことは、残念ながら事実ですね。

    ワタクシが個人的にコワイなと思ったのは、退任発表の前日まで、外遊も精力的にこなし、周囲にも「頑張ります」と言っていたにも関わらず、ポキッと折れるように、突然立ち止まってすべてを止めてしまうという行動に到ってしまう心理が、日本の実質的な最高権力者の内面にずっと巣くっていた…ということでした。

    「ポキン」と折れる擬音が、いまにもテレビから聞こえてきそうに感じましたよ。

    今回のように精神的にも肉体的にも過度に自分に負担をかけてしまうと、昨日まで普通だったのに「いきなり、パタッと」と自分がやっていることを途中で投げ出してしまう精神状態に、人というものは陥る可能性があるのだ、ということを、テレビを見ていた皆が、はからずも感じ取ったのじゃないでしょうか。


    皆さんの周りにも、ひょっとしていらっしゃるんじゃないでしょうかね。

    いつも仕事をバリバリこなしていたのに、突然やる気を無くしたとか、プロジェクトが進行中で佳境であるにもかかわらず突然退職すると言い出したとか、先月まで熱心に英会話教室に通って練習をしていたようなのに、最近パタッと練習している姿を見かけなくなった、とか。

    はじめた時は「頑張ってブログ、毎日書きます!」とか言ってたくせに、いつの間にか更新頻度が3日に1回くらいになっているとか…あ、それはワタクシですね(笑)。


    日本の最高責任者と政治の関係でなくたって、今の自分にとって過負荷となり得るようなことをアナタが手がけているならば、今回の首相退陣劇から教訓として学ぶことは、アナタの人生においても、あるはずです。

    英語・英会話に絞っていうなら、今のアナタにとって、それら外国語を学ぶという行為が、どれくらいの「負担」として、日々の生活の中に存在していますか?

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    2007年09月11日

    リスニングの題材に、「街中や雑踏での英会話」をあえて選ぼう。


    前回、ネイティブが数名いるグループの中で行う英会話の機会をなるべく持ちたいという話を書いていた時に、ちょっと思い出したことがありますので、本日はその話をします。

    リスニングの練習教材・題材は、ネットに無料でも高品質のものがあふれかえっていまし、英会話の本なども、いまやCDが付いていないモノがむしろ少なくなりつつある時勢ですので、リスニング練習の機会そのものは、事欠かないように思います。

    ただ、ちまたのリスニング教材や題材は、まだまだ「ナチュラル・スピードによる録音か、会話スピードを学習用にスロー編集したものか」、という点で、区分けされているものが多いように思います(なかには、「2倍速録音」とか、耳慣らしを目的として会話のスピードを人工的にあげたものもありますが、これは分類上は、ナチュラル・スピードの教材に属すると考えていいでしょう)。

    もちろん、英会話をはじめたばかりだし、現在の自分のリスニングレベルにあわせて…という気持ちもわかりますので、英会話はまだまだ初心者…という方は、最初のうちはゆっくりとした会話スピードの教材を使うのも、もちろんよいでしょう。

    いずれは、ナチュラル・スピードでの聴き取り練習に移行するわけですし、聴いた内容を自分自身で理解できているか確認しながら進まないと不安…という方も、いるでしょうから。

    ただ、ナチュラル・スピードかどうかという点以外にも、たとえ初心者の方であっても時々は、並行して意図的な聴き取り練習を行っておいたほうがよいシチュエーションがあります。

    それは、「注意深く耳を傾けないと聴き取りにくい、街中や雑踏などの環境で展開される英会話」です。

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    2007年09月08日

    英会話、三人以上でするグループ会話の経験を増やしたい。


    英会話というと、ワリと1対1で行うイメージが、ふだん練習するときの場面想定として多いのではないでしょうか?

    話し手のアナタと、聞き手のネイティブがいて、それが交互に入れ替わる…というパターンを頭に描いて練習するのが、普通だと思うんですが。

    そもそも日本では、ふだんから英語で会話するチャンスそのものが少ないことに加えて、なかなかそういう状況が日常生活で出現しないのが普通だと思うんですよね。
    なかにはもちろん、まわりにはネイティブの留学生やら職場の同僚がたくさんいて、グループミーティングの機会もしょっちゅうある、などというめぐまれた環境の方も、いらっしゃるでしょうけど。

    ワタクシが以前勤めていた会社では、仕事柄、数名のネィティブとのミーティングを持つ機会や、休み時間などに雑談をする機会が、結構ありました。

    その時のぼんやりした記憶では、「あ、手かげんされているな」(笑)と感じることが、ワリと多かったように思います。

    たとえば、アメリカ人の編集者2名に混じって話をしている時は、こちらに話しかけるときだけは、しゃべりが若干不自然でスローダウンしているな、と感じていたわけです。

    彼ら2名とも、こちらのリスニング・スピーキングの水準にあわせて、意図的にレベルをおとしてくれていたんだと思うんですね。
    わざわざそのことを尋ねて、確かめたわけではないんですが。

    または、彼らがワタクシに話しかける時は、ちゃんと内容を理解して受け答えもできるにもかかわらず、彼ら二人に会話が移ったとき、瞬間的に話されている内容がまったくわからず「??」となって、会話の流れから一瞬置いてきぼりをくったようになる状況になる時も、今となっては、結構あったように思います…。

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    2007年09月04日

    英語・英会話の学習環境づくりに、気を配ることの大切さ。


    英語・英会話を勉強するための状況・環境として、「机に向かって集中してやる」場合と、「日常生活のスキマ時間を有効活用する」場合と、大きくわけて二つの状況があると思います。

    どちらも同じ時間、それぞれの有効活用をはかるべきではありますが、特に前者の「机に向かって集中して勉強できる」時間帯においては、その時にどれくらい英語・英会話に集中できる状態になっているかという「環境・コンディションづくり」が、学習効率を一番良い状態にもっていくためには非常に大切なことだということに、ワリと最近、気がつきました。


    以前は、朝は寝起きで顔も洗わず、そしてコーヒー以外は何も口にせずに、いきなり机に向かって英単語帳なぞを広げていたものですが、最近のワタクシは机に向かう前の「儀式」をちゃんとひととおりやった後でないと、席につかないようにしています。


    具体的には、まず起きたらコップ2杯の水を飲んで、たっぷりと目薬をさします。
    そして無印で買ったグレープフルーツのアロマオイルの香りを、ビンの口からちょっと嗅いだりします。

    その後はベランダに出て、外で日の光を1分くらいあびてから、顔を洗って、軽く食事。
    その後に歯を磨いて、コーヒーを用意してから、はじめて机に向かうようになりました。

    これで、いきなり机に向かっていた頃に比べると、全体の学習効率が体感的に20%くらい、アップしたような気がしています。


    で、ワタクシがこういう風になったきっかけは、比較的最近に読んだこの2冊の本です。

    「幸運を呼びよせる 朝の習慣」(佐藤 伝 著、中経出版、1,000円)
    「いい明日がくる 夜の習慣」 (佐藤 伝 著、中経出版、1,000円)


    どちらも、必ずしも学習環境だけを意識して書かれた本というわけではないようですが、朝と夜にそれぞれどういう習慣を持つと、身体と精神に良い作用を及ぼすかということが、精神論ではなく具体的なやり方・テクニックとして、あげられています。

    上で書いた、ワタクシの朝のスタートにおけるアクションは、すべてこの本の中に書かれていることの中から、自分が習慣として続けられそうなことだけを選んだものです。

    立ち読みでも読めてしまう感じの軽いタッチの本ですが、できれば2冊とも手元にそろえて、朝用と夜用にそれぞれ選ばれているちょっとした動作のなかから、自分の生活に合いそうなものをあれこれ試した後で、気に入ったものだけを生活習慣として取り込んでみるのが、良いように思います。


    習慣的動作というのは、ささいなようでいて、やっぱり大事なんでしょうねぇ。

    マリナーズのイチロー選手なんか、テレビでみていると、打つまでのしぐさや動作がいつもほとんど測ったように同じで、しかも一定のリズムを保ってますもんね。

    ということで、学習環境づくりに気を配ったことのない方、ちょっと立ち止まって、自分なりのこういった朝と夜の儀式を生活に取り入れてみることを、オススメいたします。

    英語・英会話 上達そこツボ!日記

    2007年09月01日

    小学生の英語教育義務化は、意味のある「捨て時間」かもしれない。


    9月初日、本日は雑談めいた話ですが。


    報道でご存知のとおり、小学校の学習指導要領の改定として、いよいよ小学校高学年で英語が義務化されることが、ほぼ決まりましたね。

    小学校5・6年で、週1時間程度の「体験型」の英語の授業を行う方向、とのことです。

    「体験型」というのが、どういうやり方を指すのかはまだよくわかりませんが、想像するに、たまにはネイティブの講師も現場の教室に呼んで、あいさつや自己紹介の練習くらいは、子供たちにさせてみたりするんでしょうね。

    「脱ゆとり教育」ということで、授業時間数も、全体に増えるらしいですが。

    いずれにしても、ついに義務教育に英語が正式に入ってくるということで、もっと早い幼児時期から小学校低学年にかけて、我が子を児童英会話教室などに通わせる親の数も今後はますます増えてくるのも、確実でしょう。


    さて、大勢が決まったことについていうのも何ですが、「小学生から英語を教えることに、意味があるのか」という論調が、根強くありますよね。

    あの藤原雅彦さんの著書「国家の品格」の中で述べられていることが、代表的な主張のひとつのあり方のように思いますので、ワタクシのほうで該当部分を要約してご紹介しますが(あくまで個人による要約です。ご興味ある方は原書をお読みください)。

    いわく、

    『英語は話す手段にすぎないのだから、話す内容が伴わない小学生に教えることは、有害ですらある。小学生に教えるべきは、まずなんといっても、国語である。英語がペラペラであっても語る内容が無いということは、日本人の国際化にとっても、日本のイメージを傷つけ、かえって有害となり得る。初等教育では、国語こそをしっかりと教え、話す内容を鍛えるべきである。』
    という主張ですね。


    ワタクシも、実はつい最近まで、こんなに考えていました。
    というか、今でも8割がたはこの主張に賛成なのですが、最近少しだけ考え方を修正して、「小学生に英語を教えるのもいいんじゃないか?」と、思うようになりました。

    むろん、小学生に、週1時間、年50時間弱くらい英語を教えたところで、言語としての英語知識について得るものは微々たるものに過ぎないだろう、ということについては、ほぼ異論のないところでしょう。


    ただ一方で、単純に新しい世界に子供を触れさせることも、それはそれで、非常に意味があることではないのか?とも、思うわけです。

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