過去の全記事は⇒ こちらから




最近の掲載記事

  1. 編集に4年余りの歳月をかけた丁寧な作り、オススメ英会話フレーズ集。
  2. 英語・英会話の学習プロセスをメモっとくと、「思い出がいっぱい」か?
  3. 「英語モードへの切り替え」「英語脳へのスイッチ」を、警戒する理由。
  4. 英語・英会話学習、「失敗」は恐れることで真の価値が得られるもの。
  5. 読むのは数年後でOK。いま買って手もとに置くべき、必読の英単語集。
  6. 英単語やフレーズ、「おぼえたものを忘れる」ことについて考える(2)。
  7. 英単語やフレーズ、「おぼえたものを忘れる」ことについて考える(1)。
  8. 独学で英会話を学ぶアナタにこそ読んで欲しい、このオススメ本。

このサイト内の記事を検索


ページランク4.net




2007年09月01日

小学生の英語教育義務化は、意味のある「捨て時間」かもしれない。


9月初日、本日は雑談めいた話ですが。


報道でご存知のとおり、小学校の学習指導要領の改定として、いよいよ小学校高学年で英語が義務化されることが、ほぼ決まりましたね。

小学校5・6年で、週1時間程度の「体験型」の英語の授業を行う方向、とのことです。

「体験型」というのが、どういうやり方を指すのかはまだよくわかりませんが、想像するに、たまにはネイティブの講師も現場の教室に呼んで、あいさつや自己紹介の練習くらいは、子供たちにさせてみたりするんでしょうね。

「脱ゆとり教育」ということで、授業時間数も、全体に増えるらしいですが。

いずれにしても、ついに義務教育に英語が正式に入ってくるということで、もっと早い幼児時期から小学校低学年にかけて、我が子を児童英会話教室などに通わせる親の数も今後はますます増えてくるのも、確実でしょう。


さて、大勢が決まったことについていうのも何ですが、「小学生から英語を教えることに、意味があるのか」という論調が、根強くありますよね。

あの藤原雅彦さんの著書「国家の品格」の中で述べられていることが、代表的な主張のひとつのあり方のように思いますので、ワタクシのほうで該当部分を要約してご紹介しますが(あくまで個人による要約です。ご興味ある方は原書をお読みください)。

いわく、

『英語は話す手段にすぎないのだから、話す内容が伴わない小学生に教えることは、有害ですらある。小学生に教えるべきは、まずなんといっても、国語である。英語がペラペラであっても語る内容が無いということは、日本人の国際化にとっても、日本のイメージを傷つけ、かえって有害となり得る。初等教育では、国語こそをしっかりと教え、話す内容を鍛えるべきである。』
という主張ですね。


ワタクシも、実はつい最近まで、こんなに考えていました。
というか、今でも8割がたはこの主張に賛成なのですが、最近少しだけ考え方を修正して、「小学生に英語を教えるのもいいんじゃないか?」と、思うようになりました。

むろん、小学生に、週1時間、年50時間弱くらい英語を教えたところで、言語としての英語知識について得るものは微々たるものに過ぎないだろう、ということについては、ほぼ異論のないところでしょう。


ただ一方で、単純に新しい世界に子供を触れさせることも、それはそれで、非常に意味があることではないのか?とも、思うわけです。


ワタクシは、NHKの「基礎英語」を小学6年の時にラジオで初めて聞いたのが、英語に触れた最初になりますが、その時に聞いた講師の声が今でも、薄ぼんやりと頭に残ってます。

もちろん話の内容などは完璧に忘れていますが、子供心に衝撃と興奮を感じていたからこそ、声の質感が記憶に残っているのでしょう。

成長して英語が好きになる・ならないはともかく、義務教育として提供されなければ触れることがないかもしれない機会を子供に与えることは、それはそれで意味のある、大切なことではないでしょうか。

大都市圏ならともかく、地方で暮らす義務教育が生活の中心となる子どもたちにとっては、異文化・異質の言語に少しでも触れるチャンスを得ることで、その後の人生に大きく影響が及んでくる可能性だってある、と思うんですね。

小学生から英語を教えても、成人してからの英語の上手・下手にはほとんど関係がないと正直思ってますし、内容を構築するために国語力を磨けと言う主張も、まったくその通りだと思います。

ただどんなに浅くとも、ほんの少しの記憶を残すだけでいずれ忘却の彼方に消え去るものであるとしても、子供たちの多感な成長の時期に、日本以外の世界に関心を向けさせるように最低限のレールを敷くことは、それなりに意味のあることかもしれないな、と、なぜか最近思うようになったわけです。

だから、この年間50時間にも満たない、英語の授業時間は、英語を教え、おぼえこませるための時間とは考えずに、異文化へ誘いこむことによって子供の情操をはぐくみ、彼らの好奇心を刺激するために提供する、一種の「捨て時間」である、くらいに考えておくのは、どうでしょうか?


ま、現場で苦労されている先生たちも、英語教育の小学校義務化についての賛否両論があるでしょうし、「捨て時間」を作るヒマなぞ無い!と怒られれば、外野としては返す言葉もありませんが…。


いずれにせよ、2011年度からのスタートということで、小学校の英語教育義務化が果たして意味があったのかなかったのかについて一応の結論が出るのも、おそらくはあと10年くらいたってから、ということでしょうか。

ゆとり教育が「失敗に終わった」ということは、試した結果ほぼ結論がでて、このような方針転換と相成りました。

同じように、小学校の英語教育義務化についても、10年後には、はっきりしたなんらかの結論が、出ているような気がしてなりません。

さて、いったいどうなりますことやら、ですね…。


     




trackbacks

trackbackURL: