2008年03月28日
「世界一簡単な」「最新の」英語学習法、あるんなら教えてほしい(笑)。
昨日は久しぶりに紀伊国屋に出かけ、英語・英会話コーナーの平積みをチェックしてきました。
個人的に読む価値があると思った本は、このブログでも時おりご紹介していますが、一方で「これはマズイだろぅ…」と思う本も、同様に結構見かけるものです。
ま、どちらも所詮は「個人的意見」なわけですが。
ただですねぇ、あまりにも「売らんかな」の姿勢で、やれ「画期的!」だとか「あなたのこれまでの学習法は間違っている!」とか、強気一本に押しまくられると、ついツッコミを入れたくなってしまいます。
商売の邪魔をするつもりまではないので、書名は一部伏字にしますが、たとえば今新刊コーナーに並んでいる「○○は○から○○! 最新の脳科学でわかった!世界一簡単な外国語勉強法」(伏字になってない(笑)?ま、探してみてください)などは、タイトルも中味も、いくらなんでもトンデモすぎませんかね。
いまどきチョムスキーの生成理論などをひっぱりだしてくるのもスゴイですが、「英語を勉強するときには英語だけでやり、英語脳をつくって、絶対に日本語を介在させるな」という主張を展開されても、しかも日本語で(笑)。
周りは黒髪・黒目の日本人だらけのなかで、みんな頑張って勉強しているんですから。
環境的に、ワレワレに一体どうしろというのでしょう(笑)。
人間の頭の中で別々の「日本語モジュール」と「英語モジュール」が、自在に取替え可能だそうで。
ホントかよ(笑)?
骨の髄までずっぷりと日本社会で育っている私たちが、日本仕様の感情や思考体系を、電気の切り替えスイッチみたいに頭の中で英語モジュールとやらにパッと切り替えられるんなら、日本人は幕末以来、こんなに英語で苦しんでいないと思うのですがね。
そのあたりは百歩ほど譲ったにしても、「日本の英語教育は脳の仕組みと逆のことをしている」「文法ルールなどを暗記せずに英語を話せるようになる」とまで言われると、言いたい放題もチョット待った!ですね。
それじゃ英語にはじめて接触した江戸時代以降、日本人は一世紀以上、みな英語を学ぶために融通の利かない、間違ったことばかりしていたとでも言いたいのでしょうか。
「文法ルールを暗記しなくても英語を話せる」というのも、設計図なしに家を建てろというようなものですし。
他にも突っ込みドコロ満載で、これは「最新の脳科学」でもないし「世界一簡単な外国語勉強法」でもないと、ワタクシ個人は強く確信するものですが、ま、気に入らなければ選ばなければいいだけの話だろうくらいに、きっと出版側は思っているんでしょうねぇ。
あんまり自分の英語学習方法だけが唯一の正解で、他は全部劣ったやり方、といった調子で強気で言いまくるのも、いくら商売とは言えドライブかかりすぎじゃないの?と思います。
世の中、そうそう英語や外国語学習について、自分なりの判断基準(=自衛手段)を持っている人ばかりでもないでしょうからね。
「おぉ、これが最新の脳科学理論か、スゲェ!よし、今日からさっそく日本語禁止だ!」みたいに感化されやすい人って、絶対いるはずですから。
とくにこの4月から英語・英会話学習をはじめようとする新社会人や学生さんは、その手の英語・英会話本が新刊書のコーナーで3月にどーんと平積みされていたりすると、きっと真に受けて買ってしまい、何ヶ月もその方法を試してみたりするんだろうなァ…とか想像すると、ケッコー気の毒な気がします。
ま、ある程度ダマされたり(笑)していろいろ経験しながら、自分なりの方法論や判断基準を確立していく…という面は人として確かにあるので、大局的見地にたてば、必ずしもすべてがムダな投資とまでは言いませんが。
かくいうワタクシも、マガイモノはこれまでずいぶんとつかまされ、散財してきております。
その経験に沿った最低限のアドバイスとして、英語・英会話教材や英会話学校のチョイスにおいては、クレジットに書かれている著者の肩書きや華々しい経歴などは適当に割り引いて、「自分にとってどうなのか?」という目線を磨く練習だけはしておいたほうがよい、とホントに思うわけです。
ま、そういう意味では、このブログもモチロン、例外ではありません。
どの程度英語ができるヤツが書いているのか、アヤシサ満点(笑)であります。
ネットで「英語」「英会話」と検索して得られる情報など、本質的にはみんなそうです。
ワタクシの申し上げていることも、もちろんその真偽を大いに疑っていただきながら、アナタ自身があれこれ・イロイロ検証して、アナタなりのアナタのためだけの、英語・英会話の学習方法を、自分の手で作り上げていくこと。
つまるところ、それに尽きるんじゃないでしょうか。