わかっていても探り当てられないことって、たしかにある。
暑中お見舞い申し上げます…日本の夏・ハズ・カム。
ここ数日はホントに酷暑ですね~。
すでに「月記」と化したこの「そこツボ日記」ではありますが、せめて一ヶ月に一コくらい、英語・英会話学習のお役だちネタをなにかしらご提供せねば…と気持ちを奮いたたせて、なんとかPCに向かっております。
でもなにせ、暑さでアタマがゆだってる…ので、今日は小ネタでサっとまとめちゃいます。
↓コレつい最近ネットで見つけて、ワタクシ思わずうなってしまったんですが。
(この錯視画、わりと有名みたいですね。ワタクシは知りませんでしたが…。)
この図を見てね
図の「A」と「B」は、まったく同じ色だそうです。って、ウッソぉ~ん。
何度目をこらして見ても、ゼッタイ違う色に見えるんですけど。
Webセーフカラーは、Aが「#787878」、Bが「#787878」。
って、おんなじだよ(泣)…。
信じられない方のための検証ページがありましたので、AをカーソルでBのところに持っていって、どうぞ気のすむまで確認してくださいな…。
Nob Seki - 有名な、Edward H....
要するに、ヒトにとって都合がよくなるように脳が勝手に補正をかけてくれてる結果、こうなってるらしいんですが。
「ヒトはこの世界を眼で見ているんじゃなくて、脳で見ている」ということが、もうマザマザとわかる事例ですな。
タネがわかった手品を繰り返し不思議がるようなもんですが、ここまで理屈が見えたところで、もう一回この絵のAとBをじっくり見てみましょう。
理屈が多少わかったところで、AとBはやっぱり違った色に見えたママ…ではないでしょうか?
あ、「…だから何?」という声が、いまワタクシの脳内にハッキリと聞こえてきました(笑)。
このブログの特性上、いちおう英語・英会話学習にかかわる教訓めいたメッセージで話をムリにまとめて、今日は終わります。
世にあまたにある英語・英会話の学習理論・学習法・教材は、たとえどんなにそれが完璧ですばらしく見えたとしても、あるいは著名な専門家が「これこそが最強のアプローチ」とグイグイと力説してるにせよ、絶賛・賞賛の声があふれたものであるにせよ。
世界にたったひとつしかないあなたの脳がそれを素直に受け入れてくれるかどうかは、おそらくはあなた自身も含め、結局のところ誰にもわかりゃしません。
それなのに、「英語と英会話の力を飛躍的にアップさせる」と声高に喧伝したさまざまな教材や学習アプローチが、あなたのまわりにもうイヤというほどあふれている、この大量消費社会の現実。
手を変え品を変え次々に現れる新理論や新商品にあなたはついつい説得され、「これこそまさに、長い間自分が追い求めていた究極の英語学習法」と心の底から納得してしまうことだって、あるかもしれない。
…でも実はそれって「とんでもないハズレ」で、アナタはまったくトンチンカンなアサッテの方角に向かって、今まさに走りだそうとしているのかもしれませんよ!
人様の英語力の向上について自信たっぷりに約束してくれる専門家の誰かも、また「自分のことは自分が一番よくわかっている」と思いこんでる私たち自身も、どちらもそうと気づかないままに、まったく的はずれの世界をさまよっているのかもしれませんね。
…この錯視図をジッと見ていると、真実はどこにあるのだろう?これだけ正解にいたる材料を示されていながらなお、今ここにある事実に気づかない自分とはいったい何なのだろう?などと、つい考えてしまいます。
ということで、アナタも冷たいアイスクリームでも食べながら、もう一度この図のAとBをよ~く見つめて、いろいろと思いをめぐらしてみてくださいな。
オシマイ…あ、さらに楽しみたい方のためのオマケはこちら。
一人の、「個」の力って偉大。英語・英会話くらい、なんでもないかも。
さわやかな4月の一発目からナンですが、今回は雑談です。
たまたま見ていたサイトでこんな記事を発見し、不覚にもちょっと感動してしまいましたので、英語・英会話の習得に励む皆さんにもおすそわけしたいと。
ま、見てください。
らばQ 一人で作り上げたという尋常ならざる5人の鬼才・天才建築家
どうです。スゴイと思いません?
それぞれ一人でやった仕事だそうですよ、たった一人の!
特に最初のシュヴァルさんの話には、ちょっとマイった。
記事によれば、完成まで一万日以上かかって…って、ざっと27年ちょっと(笑)。
建築もデザインも自分で建てながら学んでいき、独りでコツコツつくりあげたって、ホントかよ…って思いますが、実際にモノがあるんだから、本当なんでしょう。
マルティネスさんの大聖堂も、ひとりで造ったというのがにわかには信じがたいスケールですが。
記事の表題こそ「天才・鬼才」と打っていますが、恐るべきは建築の技術というよりも、彼らの「時間に対する観念」じゃないでしょうか。
ひとつのことに人生の数十年を注ぎ込み、最終的にこのようなかたちを造りあげてしまうにいたる念の純粋さが、なんと言ってもスゴイ。
途中で、悩んだりしなかったのでしょうか。
天災にあったり、誰かに破壊されたらどうしようと、オノノいたりはしなかったのでしょうか。
それにしても、たった一人でもこれだけのことができるんだ…って、素直に思うでしょう?
こういうのに比べたら、建材も必要なく、場所もとらない英語・英会話のマスターごとき、取るに足らないというか、ごくなんでもないことのような気がしてきませんか?
彼らも一人、私たちも同じ一人です。
英語・英会話力は、いわば頭の中の空間に組み立てる、仮想の建築物のようなものでしょう。
シュヴァルさんを見習ってほんの数十年(笑)くらいコツコツと頑張れば、英語・英会話をある程度自在に使いこなすことくらい、絶対にできるはずですよね。
これらの建造物の写真を見ていると、どうやって学習するとよいかなどという方法論はほとんど問題にならなくて、要するに「やり続けるられるかどうか」、ということだけ、ただそれだけのような気すらしてきます。
とくに4月からあらたに英語・英会話をはじめた、新社会人・学生の皆さん。
どうです、やる気がわいてきましたか?
学習に挫折しそうになったら、時おりこの写真を見返すようにしてください(笑)。
英語学習に活かす、「イチロー」のこの言葉。
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀 イチロートークスペシャル」、あのイチローのスペシャル・インタビューということで、見た方もかなり多いと思いますが。
そのなかで、やけに深く心に残ったセリフがありましたので、録画したハードディスクを巻き戻して、書きとめてみました。
もちろん野球、そしておそらくは野球を通じてみた「人生」について語ったものでしょうけど、これは英語・英会話を学ぶ時のスタンスとしても、まったくそのままに応用できると思います。
↓ これです。
『僕は、「満足」は、重ねるべきだと思う。
そうじゃないと、人間のヤル気なんか起きない。
何かを達成したときに、「いや、まだまだ、こんなものじゃない。まだ上に行きたい」と自分を戒めることって、よくありますよね。
それは、自分を苦しめるだけだと思う。
何かやったら、大きく満足した方が良い。そのあとで、満足した後で、また何かが必ず出てくる。
自分は、メチャメチャ「満足する」人間だ。
満足しないなんて、考えられない。
次に進むためにも、僕は満足したい。』
英語がなかなか上達しない、英会話でうまくしゃべれない…とあせっている方、あのスーパースターでさえ、こう言ってるんですから。
今日一つ英単語をおぼえたこと、電車の中で英会話のフレーズ確認ができたこと、一日のうちで少しでも英語に触れることができたこと…といった、ささやかな「満足」のひとつひとつを大切にするようにしましょうよ、ホントに。
いや~、それにしてもイチローって、本質に関わるようなことを、さらっとうまく言葉に表しますよね。
「イチロー 262のメッセージ」という本まで出版されてますが、No wonderですな。
(そういや、以前確か、この本買ったような気が…。 あとで本棚ひっくり返してみないと)
ということで、「英語がうまくなってるんだかなっていないんだか、さっぱりわからん…」とお嘆きの皆さまの心のなかにも、彼の言葉がひとつの「満足」を生みますように。
英語が「資格・教養」から、「サバイバル・ツール」に変わる日はくるか。
えー、本日は雑談モードですが。
皆さん、あちこちで配信されていたこの記事はもう、読まれましたか?
英政府 外国人就労者に「英検」 EU域外対象 在留邦人悲鳴 (イザ! 2007年10月25日配信記事)
簡単に言えば、景気好調の英国で、外国人労働者の流入に業を煮やした英政府が、就労申請者に対して一律に英語検定「IELTS(アイエルツ)」を実施することになった…というお話です。
日本ではTOEICのほうが圧倒的にメジャーですが、英国ではこのIELTSが代表格ですね。
必要とされるレベル5.5、TOEICに換算して650-700点程度だそうですから、カタコトで働いてきた外国人労働者にとっては、なかなかハードルが高そうですね。
ロンドンなどで働く日本の寿司職人が、試験におちて泣く泣く帰国…という事態が心配されているそうです。
うーん、そんな心配をしているのか…。
「Hey スシボーイ、イギリスで働きたきゃ、IELTSで5.5くらいはとってきな」、てな感じでしょうか。
「オ…オマエなんか、握ってやる!」と抵抗しても、たぶん泣く泣く強制送還ですね。
来年の実施前に、にわかに詰め込みで英語の勉強をする外国人就労者が激増する、という構図になるのでしょう。
日本で暮らすたいていの日本人にとっては、この話は「対岸の火事」なんでしょうけれどね。
しかし、「外国語ができる・できないで、国家権力による選別と強制を受けて、露骨に人生が変わってしまう」という事態が、先進国で現実に起きていることに、ワタクシとしてはこの国の過剰な英語熱に照らして、ある種の予兆を感じた次第です。
英語はまだまだ国家権力とリンクするどころか、TOEICが企業の就職試験で選別に使われている程度で済んでいますが、遠い先々はどうなることやら、です。
今、ありがたくもこの「そこツボ!」を読んでいただいている、20代前半くらいの皆さん。
あと20年後の日本、皆さんが社会の中堅世代として生きるはずの頃は、労働環境がどうなっているか、ホントにわかりませんよ。
金利がバーンと跳ね上がっただけで国内は大混乱ですし、物価だってほら、灯油だの小麦粉だの、目立たないように少しずつ上がりだしているじゃないですか。
「英語の勉強」と、首相退陣劇に共通するもの。
英語・英会話の学習とストレートには結びつかない話かもしれませんが、学習者にとっての本質に関わる大事なことだと思いますので、書きます。
おととい、外出先から戻ってテレビをつけると、いきなり「安倍総理 退陣表明」のテロップが目に飛び込んできました。
所信表明演説から日も経たないうちの辞任表明に、皆さんもさぞ、驚かれたことと思います。
突然の退陣の真の理由は、まだ今ひとつ、はっきりしないようですが。
しかしながら、日本国にとって課題が山積する状況下、「突然すべてを放り出すようにして」辞めた形になったことによって、一国のトップとして無責任だという印象を、国民に強く植えつけてしまったことは、残念ながら事実ですね。
ワタクシが個人的にコワイなと思ったのは、退任発表の前日まで、外遊も精力的にこなし、周囲にも「頑張ります」と言っていたにも関わらず、ポキッと折れるように、突然立ち止まってすべてを止めてしまうという行動に到ってしまう心理が、日本の実質的な最高権力者の内面にずっと巣くっていた…ということでした。
「ポキン」と折れる擬音が、いまにもテレビから聞こえてきそうに感じましたよ。
今回のように精神的にも肉体的にも過度に自分に負担をかけてしまうと、昨日まで普通だったのに「いきなり、パタッと」と自分がやっていることを途中で投げ出してしまう精神状態に、人というものは陥る可能性があるのだ、ということを、テレビを見ていた皆が、はからずも感じ取ったのじゃないでしょうか。
皆さんの周りにも、ひょっとしていらっしゃるんじゃないでしょうかね。
いつも仕事をバリバリこなしていたのに、突然やる気を無くしたとか、プロジェクトが進行中で佳境であるにもかかわらず突然退職すると言い出したとか、先月まで熱心に英会話教室に通って練習をしていたようなのに、最近パタッと練習している姿を見かけなくなった、とか。
はじめた時は「頑張ってブログ、毎日書きます!」とか言ってたくせに、いつの間にか更新頻度が3日に1回くらいになっているとか…あ、それはワタクシですね(笑)。
日本の最高責任者と政治の関係でなくたって、今の自分にとって過負荷となり得るようなことをアナタが手がけているならば、今回の首相退陣劇から教訓として学ぶことは、アナタの人生においても、あるはずです。
英語・英会話に絞っていうなら、今のアナタにとって、それら外国語を学ぶという行為が、どれくらいの「負担」として、日々の生活の中に存在していますか?
小学生の英語教育義務化は、意味のある「捨て時間」かもしれない。
9月初日、本日は雑談めいた話ですが。
報道でご存知のとおり、小学校の学習指導要領の改定として、いよいよ小学校高学年で英語が義務化されることが、ほぼ決まりましたね。
小学校5・6年で、週1時間程度の「体験型」の英語の授業を行う方向、とのことです。
「体験型」というのが、どういうやり方を指すのかはまだよくわかりませんが、想像するに、たまにはネイティブの講師も現場の教室に呼んで、あいさつや自己紹介の練習くらいは、子供たちにさせてみたりするんでしょうね。
「脱ゆとり教育」ということで、授業時間数も、全体に増えるらしいですが。
いずれにしても、ついに義務教育に英語が正式に入ってくるということで、もっと早い幼児時期から小学校低学年にかけて、我が子を児童英会話教室などに通わせる親の数も今後はますます増えてくるのも、確実でしょう。
さて、大勢が決まったことについていうのも何ですが、「小学生から英語を教えることに、意味があるのか」という論調が、根強くありますよね。
あの藤原雅彦さんの著書「国家の品格」の中で述べられていることが、代表的な主張のひとつのあり方のように思いますので、ワタクシのほうで該当部分を要約してご紹介しますが(あくまで個人による要約です。ご興味ある方は原書をお読みください)。
いわく、
『英語は話す手段にすぎないのだから、話す内容が伴わない小学生に教えることは、有害ですらある。小学生に教えるべきは、まずなんといっても、国語である。英語がペラペラであっても語る内容が無いということは、日本人の国際化にとっても、日本のイメージを傷つけ、かえって有害となり得る。初等教育では、国語こそをしっかりと教え、話す内容を鍛えるべきである。』
という主張ですね。
ワタクシも、実はつい最近まで、こんなに考えていました。
というか、今でも8割がたはこの主張に賛成なのですが、最近少しだけ考え方を修正して、「小学生に英語を教えるのもいいんじゃないか?」と、思うようになりました。
むろん、小学生に、週1時間、年50時間弱くらい英語を教えたところで、言語としての英語知識について得るものは微々たるものに過ぎないだろう、ということについては、ほぼ異論のないところでしょう。
ただ一方で、単純に新しい世界に子供を触れさせることも、それはそれで、非常に意味があることではないのか?とも、思うわけです。
英語・英会話の勉強、そろそろお疲れモードの季節ではありませんか?
4月から新しい職場に配属されたり、学校や大学で新生活をスタートされた皆さん。
「よし、今年は英会話をマスターするぞ」とばかりに、「新学期開講」と書かれたNHKの英会話テキストを数冊も買い込んで、英語ブログもいっぱいRSS登録された、皆さん。
あれからもう、3ヶ月が過ぎましたね。
ひょっとして、英会話の勉強、そろそろお疲れモード(笑)に入っている時期じゃありませんか?
・いくらやっても、フレーズが、一向にアタマに入らん。
・テキストをほんの数回さぼったら、もうついていけなくなっている。
・おぼえるばっかりで、周りに外人もいないし、スピーキングの機会もない。
・4月からずっとやってきたが、地味すぎて、なんだかマンネリ、飽きてきた。
いやいや、よくわかりますよ。
心理学的にも、3ヶ月というのは物事を続けること、すなわち「習慣化」にあたっての、ひとつのヤマだそうです。
ちなみに最初のヤマは2週間、という話も、聞いたことがありますが…。
ですので、7月の今はちょうど、気分的にもダレやすいというか、新しく始めたことに疲れをおぼえやすい時期にあたるわけですね。
ただでさえそんな気分であることに加えて、もっとも目にみえる効果が短期間で現れにくいのが、「語学の勉強」ってヤツです。
なんだか、同じところから一歩も前に進んでいないような、砂時計の砂が落ちるほどにも効果が体感できない、自分がジリジリと無駄な努力を続けているような、そんな焦燥感にも似た思いにとらわれてしまうんですよね…。
どうでしょう、今まさに、そんな気分ですか?
もしそうなら、何十年も英語・英会話の勉強を続けてきた本サイト管理人のワタクシが出来るアドバイスは、ひとつだけです。
それはですね…
英語の勉強だって、たまには、サボることも必要…って、信じます?
あ、ほぼ毎日更新の予定が、気がついたら二日、ブログ更新サボってました。
いや、「サボる」とか自分で言っちゃうと、自分にとって、精神衛生上あんまりよくないですね。
ここは「休んでいた」とか、書いたほうがいいかな。
いや、でも私見ですが、サボったり休んだりするのは、外国語を学ぶにあたっても、意外に大事なプロセスだと思います。
特にね、勉強をはじめて間もない頃は、結構がんばっちゃうんですよね、知らず知らずのうちに。
やっぱり、一刻もはやく、うまくなりたいと思うのが、普通ですからね。
でも習い事は、すべからくそうかもしれませんけど、頑張ったわりには、上達のスピードが、砂時計の砂が落ちる速さくらいに、ゆっくりとしていますからねぇ。
ひょっとして、「英会話が一刻も早くうまくなるためにも、あまり勉強を休んじゃいけない」なんて、妙に自分にプレッシャーをかけたりなんか、してませんか?
でもね、英語の勉強だって、たまには、英語からまったく離れる時間をつくったほうがいいというか、適当にサボったほうがいい、と思うんですよ。
そのサボっている時間が、また不思議なことに、無駄になっていないんです。
勉強したときに無理につめこんでおぼえた単語が、ゆっくりとゆっくりと、アナタの潜在意識というか脳に刻み込まれて、長期記憶へと転化されていってるんだと思います、きっと。
あ、でも、「三日勉強して一日休もう」とか、計画的に休むのはダメです。
そう思うこと自体、発想が一杯一杯で、すでに余裕がアリマセン。
アナタの脳だって、きっとスケジュール感を意識して、のびのびと休んでませんから。
疲れたら、ポッと期限を決めずに休む。そういうのが、脳もリラックスできて、いいと思うんですよ…。
「おぼえることは忘れること」って、ちょっと禅問答のような。
今日は、半分雑談です。
Yahoo!ニュースで、このような記事を読んだのですが。
頭の中身も整理が必要?=大事な記憶のために物忘れ-脳科学実験で判明・米大学
要するに、大事なことを記憶するときに、一緒におぼえたいくつかの相対的に重要度の低いことについては、その大事な記憶を保持するために、それらを忘れてしまう働きが脳にはあるようなのですよ。
なんとまぁ。
昔、よく、何百億だか何千億だかある人間の脳のほとんどの部分が使われていない、使われているのはほんの一部にすぎない、その使われていない部分はNIGHT HEADと呼ばれている(お、ナツカシィ)…とかなんとか、言われていたじゃないですか。
そんなに未使用部分が多いはずのワタクシやアナタの脳なのに、なぜにこうもスパスパと、おぼえたはずの英単語や英語表現を、気持ちよく忘れてしまうのか。
未使用部分がいっぱいあるというのに、もったいない話ですねぇ。
この実験結果によれば、忘れたそれらの英語は、どうやら「ワタクシやアナタにとって、しょせん大事な語ではないから」ということに、なりそうです。
逆からみれば、今さほど苦労もなくパッと思い出せ、話せ、書ける英語・英単語こそが、アナタにとってはなくてはならない語・言葉なのだ、ということになりますか。
え?TOEICで出題されそうな必須単語がおぼえられない?
だから、それはTOEICの試験が大事だと判断している単語であって、アナタの脳はたぶんそうは判断していないんでしょう(笑)。
こうなってくると、なんとかアナタの脳をだまくらかして、「これは重要な英単語なのだ!超重要表現なのだ!」と錯覚させるしかないですかね。
どうしたらいいもんかな…
Engrishって、ご存知ですか?
ゴールデンウィークにかまけて、また雑談をひとつ。
Engrish。
スペルミスではありません。
日本のありとあらゆるところで見かける、おかしな使われ方をされている「いわゆる英語モドキ」の総称のようです。
rとlの発音の曖昧さにひっかけた、造語のようですが。
ひとつひとつのスペリングは正しくても、使われている状況や単語の組み合わせがトンチンカンで支離滅裂、更には全く異なる意味を醸し出しているようなものですね。
これは非常に有名なサイトがありますので、見ていただくほうが早いですね。
Engrish.com
まぁ、ここに載っている写真を見ていると、本やら服やら音楽やら、身の回りのありとあらゆる分野のすみずみまで、わけのわからん英語モドキが広く行き渡っていますねぇ。
写真の下の一言コメントも、ツボにはまると思わず笑えるものが多いです。
いや、笑ってる場合でもないんでしょうけど…。
ま、でもこれ、おそらくはヘンな英語を使う日本人をバカにしている、という趣旨ではないと思うんですよ。
彼らはコミュニケーションのために英語を使わず、「ファッション・デザインとしての記号」として日本人が横文字を多用する現実に、よく気づいているようです。
記号を意図して使われたものを、まずは言葉としてその意味をとりにいくネイティブの目でみたときに生じるギャップを、彼らはわりと純粋に面白がっているようですね。
あ、でもこういうの、お気づきのように、日本ばかりの話というわけでもないです(ただ、日本が際立ってEngrishが多いことも、また事実のようですが)。
アメリカでの日本のTatoo事情なんかをみると、言葉を記号・デザインとして使用するところからくるおかしさは、本質的に共通するものがあるようです。
それにしても、このサイト、ずいぶん昔から続いているし、毎日更新されているし、ネタにはこれからも困らないと豪語までしているところなんか、日本でいかにEngrishがはびこっているかの証左ですね。
でも最近は日本企業もさすがに英語チェックを真面目にやっているところも増えてきているし、ネタに困らないというのはいつまでも続かないかもしれないよ…って、あんまり自信もないですけど、いいたくなりますね。
いずれにせよ、ちゃんとしたEnglishを習得したいワレワレ英語学習者としては、そうそう笑ってばかりもいられませんですね…。
若いヒトたちのPC、ケータイ利用方法に、ビックリ。
ひょっとしてこういう現実に驚いていることそれ自体が、驚くべきオジサン度かもしれない…と内心おののきつつも(笑)、結構びっくりした記事がありましたので、ご紹介します。
CNET Japan -「5分喋れば長電話」「お風呂でメールは当たり前」--今どき若者のケータイ事情(2007年4月26日付記事)
まぁ読んでいただければと思うのですが、ワタクシが驚いた点を挙げますと;
・執筆者の会社の調査によれば、今の若者にとっての長電話は「5分」というのが、最も多い回答だった。
・別の調査によれば、「お風呂でケータイを使う」という回答が多かった。
お風呂にケータイを持ち込む時には、密封袋に入れ、ストロー等で中の空気を抜き、ビニールがボタンにぴったり吸い付くようにして、入浴中にメールやゲームを楽しむ。
・また別のアンケートによれば、音楽を聴く時は、サビの部分など一部だけしか流れない、いわゆる「着うた」で十分、と答える若者が多い。
カラオケなどで不便では?との問いに対しては、「サビだけわかればなんとなく歌える」「カラオケでもサビだけのメドレーがあるし」、とのお答え。
なるほどねぇ…アルバムが売れなくなってきているのも、道理ですな。
ちなみに、この記事の筆者はこれを「コンテンツのスナック化、つまみぐい現象」と呼び、全世界的に進行している現象だと、指摘しています。
自分の欲しい部分だけ、パクッとつまみぐいするイメージでしょうか。
いかがです?
「そんなの常識じゃん!」ともし言われたら、もう、返す言葉もないんですけれどね…。
とりわけ驚いたのは、お風呂にそうまでしてケータイを持ち込もうとしているヒトが、かなり多いらしいという事実。
さっさとお風呂から上がって、その後に話したほうが効率的では?などと思っているようでは、もはやキョービの若者とコミュニケーションをとることなぞはおよそ不可能、といってもよさそうな勢いであります。
(うーん、完全防水を売りにしたケータイが、それで結構でてきているんですねぇ。日本の携帯電話メーカも、すごいなあ…。)
しかし、なんですね。
英語ブログなんで、ちょっと強引に英語に結び付けますけど。
英語の勉強は、自分の欲しいコンテンツばっかりつまみ食い、というわけにはいきまへん(なぜか大阪弁)。
なぜなら、相手が自分の興味ある部分だけにあわせてコミュニケーションをしてくれるとは、限らないからどす(今度は京言葉)。
自分が興味がなくても、相手が多大な関心を持っているところで交わらざるを得ないのが、たぶんワレワレの生きる世の中というもの。
あんまり自分中心主義で英語や英会話に向き合おうとすると、5分以上の会話ができないヒトになってしまうかもしれませんよ…って、こういうことを長々書いているだけで、もう、彼らには終わりまで読まれずに、速攻でこのページから離脱されてることでしょう(笑)。
当ブログの編集方針を、ご説明します(たまには、PR)。
いや、天気もよくてPR日和なもので、つい(笑)。
ヒマをみては、他の方々が書いている英語ブログを、運営上の参考にするべく見て回っています。
質の高いブログが目白押しで、タダで英語の勉強がいくらでもできるネット環境というのはすごいなぁ・・・、などと、今更ながらに感心してしまうわけですが・・・。
世の英語ブログの全体的印象としては、わりに実用的色彩が強いというか、「こういう時には、こういう英語表現がおすすめ」「こういう英語表現が、ナチュラル」といった、表現のリストアップをしてくれている内容のブログが傾向として多いように思えますが、どうでしょうか。
どんな英語が役に立ち、かつおぼえるべき表現か?ということについては、なるべくそういった他のブログを見て勉強していただくのがよろしいかと思います。
「開設ごあいさつ」でも書きましたが、当「そこツボ!」ブログ日記では、
・「そういうシャレタ英語が、そもそもおぼえられないから、困ってるんだ!」
・「何回おぼえても、右から左に抜け出ていくザルなんですぅ!」
・「あんなに英会話の練習をしたのに、外人が向こうからくるとつい小走りで逃げてしまう自分がイヤ!」
という、同志のミナサンに、管理人ドナのつたない経験を活かして、英語・英会話がうまくなるための発想のツボや、カンどころ、勉強に役立ちそうなちょっとしたTips、を中心に書いていくことをその基本方針にしています。(時々は、まったく関係ナイ雑談もしますけど)
ですので、必然的にこのブログでは「英語ブログであるにもかかわらず、英語表現がほとんど出てこない」という、純和風日記風のウレシイ作りになってますので、安心して(笑)お読みいただければと思います。
基本的には、ワタクシやこれを読んでいる皆さんのような、日本でほとんど日本人に囲まれて一生を過ごすであろう、ごくごく普通の一般人が英語をある程度モノにするためには、
「無理をしないで気長にやる。ただし、残りの一生を、英語とつきあうつもりでやること。学ぶのを止めないこと。できる範囲で場数を踏み、たくさんの量をこなすことを心がけること。」
というのが最良の方法と、ワタクシは考えています。
そのための考え方を、この日記のあちこちに足跡として残していますので、過去ログで自分の関心のありそうなところだけ時々つまみ読みしていただけると、なにかしら新しい気づきがひょっとしてあるかも・・・しれません(もし無かったら、ゴメンナサイ)。
ヒトに一生英語とつきあえ、とのたまっている以上は、当ブログも、できれば目がみえてタイピングができて、ブログというものがこの世から無くなってしまわない限りは、一生、書いていきたいと思っています。
ということで、今後とも、よろしくお願いします。
以上、自己PRでした。
(4)私の毎日の英語の勉強〔2007年・冬編〕
仕事からの帰り道。
さすがに疲れているときは、横文字を追う気にはなかなかなれず、せいぜい通勤電車の中でiPodを取り出し、洋楽を聴くくらいに留めています。
ビールで一杯やったときなぞは、なおさらですが、しかしこの辺は結構気分次第というところもありまして。
さんざんお酒を飲んで今にもまぶたがくっつき列車を乗り過ごしそうな時でも、英単語集などをひろげている時もあります。
ページを開いたまま寝てしまい、自分の下車駅を通過し終点まで乗り過ごしたことも、これまで数知れずです。
帰って夕食をとってから、ニュースやドラマなんぞをみた後、BSの二ヶ国語ニュースやインタビュー特集、報道番組等をみて、リスニングの勉強としゃれこみます。
ニュースの時なんかは、大抵同時通訳が入っているので、最初のさわりだけ日本語で聞いて(ニュースですので、一発目は必ず全体をまとめた骨子を語りますよね)、そのあとすぐ英語のナレーションに戻す、というやり方でよく聞いています。
こうするとそのニュースのポイントを日本語でつかんでから英語に移るので、スムーズにディテールを把握することができます。
この日本語と英語を交互にはさんで聞くやり方は、ニュースだけでなく、DVDで映画を見たりするときにも、時々やっています。
以上が、だいたい一日の中で英語に触れる機会ということになります。
洋楽やリスニング教材、CNNや二か国語放送なぞをとりまぜて聞いて大体1時間弱くらい、英語の教材だの本だのを読んでいる時間も1時間から1時間半、というところでしょうか。
多いのか少ないのかよくわかりませんが、毎日続けていることなので、つもり重なると意外と学習量としてはいい線いっているんじゃないかと思いますが…どんなものでしょうか。
(3)私の毎日の英語の勉強〔2007年・冬編〕
朝の通勤電車から降りてしまうと、iPodはそのまま聴きながら10分弱くらい歩いて、オフィスに到着します。
職場ではさすがに英語の勉強とはいかない…と、思いますでしょうか?
実は、これが結構チャンスがあるんですよ。
まず、業務柄、ひととおり世の中のニュース、自分の会社に関係ありそうな業界動向なんぞを、モニタリングしているウェブサイトをひととおり、一日に数回、Scanningします。このときに海外サイトをいくつも見て回ること自体、立派な速読・リーディングの練習になってますよね。
また、メールチェックも毎朝の定例行事ですが、これも海外から死ぬほど(一日100から200通はメールボックスに入ってます。3連休明けとか、処理がホントに大変です。)スパムメールの大群から、ファイルが添付されていないやつだけ、時々読んでリーディングの練習をしたりしています。(これはチョット珍しい部類に入るかもしれませんね…よい子はマネをしないようにネ!スパイウェアに入り込まれてしまっても、責任は持てません)
スパムメールは、なんとか読み手をひっかけようと文章に工夫をこらしてあるものも多いので、それなりに上手な文章だな、こういう言い方はマネして使ってみたいな…などと思うときもあります。
こんなことばかりやってると、本職の仕事をするヒマがなくなるので、ほどほどに切り上げて、仕事に戻ります。
(2)私の毎日の英語の勉強〔2007年・冬編〕
朝の40分、通勤電車の中での英語の勉強は何をやっているのか?について、引き続き書いていきます。
昨日も書きましたとおりとにかく田舎ですので、車両にゆったり座れて本をひろげてじっくりできるところは大変有難いです。
人目をあまり気にしなくてもよいので、車両の中で本格的に化粧道具セットをひろげてみるみる顔が別人のようになっていく女子大生(笑)とか、弁当をパクパクたべているオッサンとか、すっかり日常の通勤風景となっていますね。
話がそれましたので、戻します。
まず、iPodを装着し(笑)、英会話のレッスンか、洋楽に合わせます。
英会話のレッスンは、ひところはそのききやすさで英語伝の「つかえる英会話 Greatest Hits」か、七田 眞先生のシリーズ「超右脳おしゃべり 英語リスニング」なぞを、聴いてました。
前者はナチュラルスピードで会話のやりとりがいかにも実践的ですし、後者は倍速で聴けるので集中するとよいトレーニングになります。ワタクシは、たいがいはトップスピードの4倍速で聴くように努めていますが、そのあたりになるとさすがにながら聴きは無理なので、真剣にiPodだけを、通勤時間中聴いている時もあります。
しかし大抵の場合は、気持ち8割がた「ながら聴き」で、目は別のモノを追っています。
通常は、昨日もかいたメモリボを高速にピコピコしながら(ちなみに、メモリボの使い方については以前書いた(1)学習に効果的なツールをご参照)、おぼえたばかりの単語とか、これも以前書きました1秒ルールにもとづいて、反射神経を試しつつ、憶え忘れがないかを、チェックするようにしています。
音楽の時は、もっと楽な気持ちで、日本語の小説とか、職場の資料などを読みながら、リラックスして聴いています。歌詞をサイトからダウンロードして、なんて歌っているのかわからないところだけ、歌詞をみて口だけで自分でコッソリ口ずさんでいるときもありますね。
こんなことをやっていると通勤時間の40分はあっという間に過ぎます。
ちなみに、帰りの電車はこれはやってないことが多く、ビールを一杯飲んだあとで軽い酔いにまかせてボケッとしています。帰りの通勤電車時間も有効に使えばそれこそ倍速で上手くなっていくんでしょうけど、なんだか帰りは仕事疲れもあってか、横文字を追う気になりません。そのあたりは、まだまだ未熟ということですな…。
(1)私の毎日の英語の勉強[2007年・冬編]
四十過ぎの私が、英語の力を維持し、あわよくばさらに力を伸ばすために、現在どんな勉強をしているかについて、何回かにわたって書いてみたいと思います。
何かの参考になるかもしれませんし、とりたてて参考にならないかもしれませんが…
他のヒトがどんな英語の勉強の仕方をしているか、ちょっとくらいは(笑)興味がひかれません?
と、いうことで典型的な一日を追う形で、英語に関係ありそうな部分を書いていきます。
まず、起床します。当たり前ですな。
最近は事情がありまして、ホントは早起きしないといけないんですが、なんとしても起きられないときも多く、遅起きが続く最近は自己嫌悪の毎日です。
きわめて軽い朝食をとってから、会社へ行くわけですが。
通勤電車の時間を有効活用するために、iPodと以前紹介したメモリボ、それから英語関連の本を1冊、自称「三種の神器」を持ってでるのが、大体の習慣になっています。
このスタイルは実は長く続いてまして、もう15年以上になります。
iPodがでる以前には、CDプレーヤーだったりMDプレーヤーだったりしましたが、今ではなんといってもこれですね。手放せません。
が、実は私とiPodはきわめて相性が悪く、iPodは2回メーカー取り替え、今もっているヤツも、パソコンがなぜか読み込むのを拒絶しておりまして、どうにもなりません(泣)。
したがって、最近でこそ、音無しの構えで通勤電車に乗り込んでいるわけですが、まぁ他にも電車の中でやることは一杯あるので、そんなに不自由しておりませんが。
私は昔、東京でリーマンだった頃は、中野に住んで中央線で都心部に出ておりましたが、その時は本を目の前までもってくるのすら苦しいくらいの「ジャムド・トレイン」でしたので、田舎に引っ込んだ今は、毎日の通勤はとても快適で、40分くらいの乗車時間が一日で一番密度の濃い勉強時間になっています。
(2)「座右の銘」2選
前回より引き続き、私的「座右の銘」についての雑談にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
もうひとつの私の「座右の銘」はですね、実は以前「書店でつい買った本」のところで書きました、村上春樹さんの「ひとつ、村上さんでやってみるか」の中で、村上氏が、自身の座右の銘(もっとも、氏はこれを「座右の銘」とは呼んでいませんが…)として、書いてあった言葉です。
それは…
(1)「座右の銘」2選
本日は、私的「座右の銘」について、雑談です。
今日は雑談コーナーですので、英語の話題抜きであることを、お許しを(笑)。
ところで皆様、「自分の人生におけるスローガンはこれだ!」的なものは、お持ちでしょうか?
ワタクシは、基本的に座右の銘なるものは、持たない主義です・・・とまで、格好つける気はありませんが。
なにせ、自分でもすぐに「座右の銘……あれ?なんだったっけ?」という感じで、激しく忘れてしまうので(笑)。
忘れるということは、「結局は自分にとって、大した重要性をもたないものだったのだ」、と自らに言い聞かせ、そのまま無理に思い出さないようにしていたりするわけです(笑)。
ということで、そういうことに大して関心もないままに、40数年を過ごしてきたわけですが。
ところがなんだか久しぶりに心にスッと入ってきて、結構長くおぼえている言葉、二つにようやく(笑)巡りあいましたので、これを座右の銘とさせていただくことにしました。
受賞したのは(笑)、次の2選です。
書店でつい買った本
仕事がはやく終わった日、帰りに駅前の書店の英語本コーナーを久しぶりにのぞいてみました。
いや~なんだかいつ行っても、新手の英語本や英会話本が山と平積みになっていて、パラパラめくって立ち読みするのが本当に楽しいです。
ワタクシ的に「ほう!」と思った英語関連本は、この日記でも折をみて、英語や英会話学習のご参考までにドンドン紹介していきたいと思ってますが。
しかし、本日買って帰ったのは、英語と直接関係のない「ひとつ、村上さんでやってみるか」でした…自分でも何故?(笑)と思うのですが。
個人的に村上春樹さんの大ファンというレベルではないけど、エッセイは好きでたまに読むかな、といったところです。
これは読みやすそうだったので、思わず買っちゃったよぉ、という感じですね。
この本は、読者のメール質問に対するご本人の回答集シリーズなのですが、その中で、英語に関する質問についての回答に、いくつか参考になる発言があります。
これは村上さんの英語に対する考え方がうかがわれて、興味深かったですね。
以下、同書から差し支えなさそうな範囲で、いくつかあげさせていただきますと…
(2)大切な言葉
「英語で会話している」瞬間は多々あるものの、「英語を通じてコミュニケートできた」と感じる瞬間は、ワタクシのこれまでの人生においてそう多くはなかったような気がします。
で、これは、珍しくコミュニケートした、と実感できた数少ない話のひとつですが。
あれは、さる×年前のこと…(遠い目)
以前、仕事がら複数名のアメリカ人やイギリス人と働いていました。
外資系ではなかったんですが、まあ海外向けに英語のリリースやレポート、英文の会社案内なんかを、彼らと一緒に作っていたわけですね。
このころのワタクシは、いわゆる企画営業マンでして。
営業やプレゼンをしてクライアントの注文をとった後、ネイティブのライターやエディターと一緒にプロジェクト・チームを組んで、進行を調整したりするのが仕事だったわけです。
当時、ライターはだいたい日本語がかなり上手、なかには、日本に帰化したんじゃねえの?ってくらい、ペラペラな人もいまして。
ま、種明かしをすれば、彼らは大体、ダンナや奥さんが日本人だったりするわけです。
家に帰って日本語でしゃべりまくってりゃ、そりゃうまくなるよな。
しかしその一方で、エディター、つまり編集という非常に大事な部分を担当する彼らは、逆に日本語ができるヒトがあんまりいなかったんですね。せいぜいカタコトくらいで。
彼らは日本に数ヶ月短期ビザで滞在後、仕事が終わったら国に帰っちゃったりするのが普通でしたから、あまり日本語をおぼえる必要性を感じなかったんでしょうけど。
で、ワタクシが当時組んでいたプロジェクトで、20歳台前半くらいの小柄な女性のネイティブ・エディターがいまして。
(1)大切な言葉
TOEICのテクニカルな話が続きまして、「そろそろ一息入れたいな~時々息抜きしないとな~」などと独り言い訳しまして、雑談コーナーへいかせていただきます。
いや、ネタはまだまだ無尽蔵にいくらでもあるんですけどね、マジで(笑)。
などと言ってみつつ、皆さん、本日はどんな一日でしたでしょうか。
ワタクシの住む北海道も暖冬で、このところすっかり油断していたんですが、今日はですね、ホントにホントォ~に、寒かったですよぉ…。
なんというか、北国の冬をなめちゃいかんぜよ!って感じで、多少の厚着をしていても、寒さがあらゆる隙間から入ってきて、骨身に染み入るように体の芯まで届いてくる感じでした。
寒いといえば、最近ココロが冷え冷えと寒くなるような事件を新聞とかでよく見ますね…なんだか新聞記事を読んでいるだけで、憂鬱になってしまいますが。
ある事件の記事を読んでいると、「妹からこう言われたからカッとなって」「妹とは何ヶ月も口をきかず」などというフレーズが、目にとまりました。
コトバというのは大切であると同時に、そら恐ろしい部分があるなあ…と、改めて思います。