(2)大切な言葉
「英語で会話している」瞬間は多々あるものの、「英語を通じてコミュニケートできた」と感じる瞬間は、ワタクシのこれまでの人生においてそう多くはなかったような気がします。
で、これは、珍しくコミュニケートした、と実感できた数少ない話のひとつですが。
あれは、さる×年前のこと…(遠い目)
以前、仕事がら複数名のアメリカ人やイギリス人と働いていました。
外資系ではなかったんですが、まあ海外向けに英語のリリースやレポート、英文の会社案内なんかを、彼らと一緒に作っていたわけですね。
このころのワタクシは、いわゆる企画営業マンでして。
営業やプレゼンをしてクライアントの注文をとった後、ネイティブのライターやエディターと一緒にプロジェクト・チームを組んで、進行を調整したりするのが仕事だったわけです。
当時、ライターはだいたい日本語がかなり上手、なかには、日本に帰化したんじゃねえの?ってくらい、ペラペラな人もいまして。
ま、種明かしをすれば、彼らは大体、ダンナや奥さんが日本人だったりするわけです。
家に帰って日本語でしゃべりまくってりゃ、そりゃうまくなるよな。
しかしその一方で、エディター、つまり編集という非常に大事な部分を担当する彼らは、逆に日本語ができるヒトがあんまりいなかったんですね。せいぜいカタコトくらいで。
彼らは日本に数ヶ月短期ビザで滞在後、仕事が終わったら国に帰っちゃったりするのが普通でしたから、あまり日本語をおぼえる必要性を感じなかったんでしょうけど。
で、ワタクシが当時組んでいたプロジェクトで、20歳台前半くらいの小柄な女性のネイティブ・エディターがいまして。
そしてその彼女が、無事ワンシーズンの仕事を終えて帰国するときに、お別れの挨拶ということで、職場のワタクシのデスクに立ち寄ってくれたわけです。
正直、エディターとしての力量は感心するほどではなかったんですが、とにかく一生懸命やってくれたんで、ワタクシはもうすごく感謝して手を握らんばかりに(握りませんでしたけど・笑)、気持ちをこめて言ったわけですよ。
"Well, don't know what to say though, You really did so much for me. I …, I REALLY appreciate it." といったようなことを。
どうということのない、ごくありふれた感謝表現でしょ?
でも、それを聞いた瞬間、彼女の目に涙が玉のようにブワっと膨らんだかと思うと、いきなりポロポロと突然泣き出したんですね。
もうそのときは、いきなり泣かれちゃって、え?と、ビックリしました。
たぶん、異国の地で独り、気を張りつめて仕事していた部分が大きかったんでしょう。
自分なりに精一杯やって、ずっと働いていた同僚からその努力を感謝され認められたんで、緊張の糸が切れてつい泣いちゃったんでしょうね。
まぁ、これだけの話です。う~ん、書いてみると、ごくありふれた話ですね(笑)。
でも、その瞬間の光景は、10年近くたった今でも、鮮やかに覚えているんですね。
たぶんこれは、英語も日本語もない、本来的なコトバの力に属する話なのでしょうけれども。
それでもその時、「自分のつたない英語でも、人の心に届いて感情を揺さぶることがあるのだ」、とはっきり身をもって体験したことは、確かです。
ま、そういうこともあって、これからも英語・英会話を続けていくときに、上手い下手もさることながら、最後の最後は、コミュニケートできる、相手の心に届く英語を語れる自分でありたい、と、ふっと思う時があったりするわけです。