(1)「座右の銘」2選
本日は、私的「座右の銘」について、雑談です。
今日は雑談コーナーですので、英語の話題抜きであることを、お許しを(笑)。
ところで皆様、「自分の人生におけるスローガンはこれだ!」的なものは、お持ちでしょうか?
ワタクシは、基本的に座右の銘なるものは、持たない主義です・・・とまで、格好つける気はありませんが。
なにせ、自分でもすぐに「座右の銘……あれ?なんだったっけ?」という感じで、激しく忘れてしまうので(笑)。
忘れるということは、「結局は自分にとって、大した重要性をもたないものだったのだ」、と自らに言い聞かせ、そのまま無理に思い出さないようにしていたりするわけです(笑)。
ということで、そういうことに大して関心もないままに、40数年を過ごしてきたわけですが。
ところがなんだか久しぶりに心にスッと入ってきて、結構長くおぼえている言葉、二つにようやく(笑)巡りあいましたので、これを座右の銘とさせていただくことにしました。
受賞したのは(笑)、次の2選です。
なお、念のため書いておきますが、フレーズそのものはうろおぼえです(笑)。
でも、趣旨としては確実にこうですので、気になる方は原典をあたってみてください。
(最初のは、原典そのものもうろおぼえですが…(笑))。
まず一つ目。
「人の人生において、すべての時間はなんらかの役にたっている、意味がある。
無駄な時間というのは、ただの一秒たりとも無いのだ。」
これはだいぶ改ざんしてますが(笑)、とにかく趣旨はこうです。
あの秋元 康氏が、対談の中で、自分がモットーとしている考え方として引いていたもので、コンビニで雑誌を立ち読みしているときに、目に止まったものです。(ということで、原典である雑誌の名前を失念してしまいました…スミマセン)
なんだか、「これは確かにそうだよなぁ・・・」と、ひとり深く納得してしまいました。
・通勤電車の中でボーッとしているときも、
・寝ているときも、
・ぼんやり部屋で独りうつろに過ごしているときも、
生きるという連続的行為の中で、何がしかの意味のある行為なのではないか、遠くとも、何かに最終的につながる行為なのではないか、と思えてしかたがないのですよ、最近。
よく「時間を無駄にしないよう」などと言われますが、「生きている一瞬一瞬の時間の本質において、無駄な瞬間はない」、という考え方は、明日を生き抜くのに力となる言葉のような気がしたのです。
時間の効率的な使い方ができているかいないか、の問題はたぶんあるでしょう。
しかし、無駄と感じるも感じないも、自分の心のありようですよね。
ワタクシは、これからは、一日を終えて寝るときには、「今日も無駄な時間はなかったけど、明日はもう少し能率よくやろう」と言い聞かせながら(笑)、床に着くようにしたいと思います。
長くなりましたので、もう一つは明日に書きますね。