英語が外から強制される環境、ウラヤマシイですか?
最近のニュースでご存知の方も多いでしょうが、とある(笑)国内最大級のインターネット総合サービス企業が、トップの号令のもと、社内の公用語を英語とすることを決定したそうです。
会議は最終的に英語一本にしたいとのことで、社員は英語ができないと、何が意思決定されたのかよくわからん…となりかねないモヨウですね。
これまで「自分の人生において英語など無縁」と思ってやってきた社員にとっては、ある日突然の天からのお達しにより、その後の人生のかなりの部分が英語に左右される日がやってきたわけですな。
ま、ここは「中国語でなくてよかった…」と胸をなで下ろすくらいの(笑)ココロの余裕が欲しいところです。
英語なら少なくとも、中学・高校で多少なりともかじっているわけですし、中国語をゼロから学んでしかも仕事で使いこなせって言われるよりは、条件的にずっと良くないですか?
でも、最近は中国資本による日本企業の買収なんかの話もチラホラ聞きますからね~。
別に大企業に限らず、社内公用語を中国語にする会社も、そう遠くないうちに出てくる気がしますけど。
以前、外国人力士が日本語がうまいのは、アタリマエ。でも書きましたが、基本の構造は外国人力士の日本語といっしょだと思うわけです。
こうやって所属する組織からほとんど有無をいわさず「今日から英語でやってください」って言われたら、そりゃあみるみるうちに上達しますって。
なにせ自分の生活と人生がかかってますから、自分の脳も全身の細胞もあっという間にスタンバイ、総動員体制で臨みます。
こうなるとビジネスフレーズだろうと単語だろうと、その吸収スピードは速いこと速いこと。
そりゃオフィシャルは全部英語というわけにはいかないでしょうし、気心の知れた社員同士ではこっそり日本語でとか、実際はイロイロあるんでしょうけど、それでも英語で回る職場にただ身をおいているだけで、それ以前の自分がウソのように飛躍的に力が上がっていくことは、ほぼ100%間違いないわけです。
言葉は良くないかもしれませんが、要は外部の強制・圧力によって、自身が打たれ強くなるということですよね。
仕事は英語力で決まらないと強弁したところで、「英語で会議の中身がまったく意味不明だったんで、リスキーだしやりませんでした、アッハッハ」じゃ、いずれクビ必至ですもんね。
…で、話はここからなんですが、こういう半ば強制的な英語環境ってウラヤマシイとお思いですか?
それとも「よかった、自分はトップダウンの会社に勤めてなくてラッキー♪」というクチでしょうか。
ま、英語オンリーという会社に望んで転職でもしない限り、自分の意思だけで似たような環境を作りだすのは、まずムリですからね。
自分の意思で自身に強制しても、時間が経過すれば、まず挫折する運命ですから。
なので、こういう外部強制的な環境を自ら欲する人が、英語を勉強する人のなかにいつも必ず一定数いるわけです。
そうでなければ「日本語禁止の2週間英語合宿」とかいったサービスなどは、まったく売れないはずですからね。
でもワタクシは、こういう外的な強制環境を実現できない人であっても、英語・英会話はちゃんと上手くなると思っています。
なんて言うか、アプローチの種類がはっきり違うだけで、それぞれに一長一短があると思うんですよ。
言ってみれば、「刻印する・焼きつける」タイプの勉強と、「染みこませる」タイプの勉強の違いというか。
前者は、たとえれば焼きごてをジュ~ッ!とカラダに押し当てるというか、キツい衝撃を短時間にブチかまされるとショックで忘れられなくなる…というのに似ています。
スピード重視でいくなら、確かにこういう方法は有効です。
短いわりになにかと忙しい人生、こちらの方法を好んで選ぶ人もかなり多いわけで、英語をマスターしたいので海外に働きに出ちゃいました、日本人が一人もいないところに住むことにしちゃいました、お仕事はキホン全部英語の会社に転職しちゃいました…的なアプローチですね。
これが物理的に可能なヒトなら、まったくOKなやり方です。
ま、ケチをつけるなら、そういうのが実現できるヒトは現実にはまだまだ少数派ってことでしょうか。
後者の「染みこませる」やり方は、自分の現在の日本語環境で、無理せず実現可能な範囲で、英語・英会話の断片を自分のなかに積み重ねていくアプローチ。
コツコツ型で、やたら時間もかかります。
ホントに上達してるんだろうか?って日々ばく然と自分を疑い、あれこれ悩んで試したりしながらも、しつこく続けるだけは続けるというやり方。
ま、この後者のやり方が、海外留学もせず外資系企業にも勤めずに、ワタクシが数十年歩んできた道のりです。
ホント、英語がうまくなりたいだけなら、どっちのアプローチでもいいと思うんですが。
ただ後者のアプローチは、あまりに地味すぎるんですよね。
でも私たちが母語となる日本語を身につけてきたプロセスは、基本的にこちらのやり方なんですよ。
「日本語をカンペキにマスターしなきゃ、この国で生きていけない!」って、あたかも何かに追い立てられるように、教科書やビジネス書、新聞や小説などをいままで読んできましたか?そんなこと、考えたこともなかったでしょう。
でもあら不思議、いつの間にかちゃんと、それなりの立派な日本語の使い手になっているじゃないですか。
ワレワレを日々追い立てていたものは「試験」とか「就転職」とか「会社のプロジェクト」であって、日本語そのものじゃなかったはずです。
しかし日本語というコトバを正面から意識することがこれだけ少なかったにもかかわらず、今ではちゃんと日本語の微妙なニュアンスにいたるまできちんと嗅ぎ分けて、試験だろうと面接だろうと会議だろうと特定の目的にしばられずに、ほぼ不自由なく日本語を使いこなしているわけです。
日本人だらけだから、日本語だらけだからの環境という部分も確かにありますが、本質はそこじゃないですね。
ただ圧倒的に膨大な時間を費やして、その人なりに、日本語に触れ続けてきたこと。
日本語を話すすべての国民におそらく唯一共通しているファクターは、「日本語に触れる時間をたくさん費やした」ということだけです。
そうしていただけで、その人なりに必要なかたちをとって、日本語というコトバが「染み込んだ」からじゃないでしょうか。
英語に触れ続けることを止めなければ、時間は必ずあなたの味方をしてくれます。
学んだぶんの英語や英会話フレーズ・英単語などがゆっくりとあなたのカラダの奥底に染み込んで、あるいは沈殿していく。
そしていつの日か、それがひとつの体系となって、しかもごく自然なかたちで、アナタ自身のなかに心地よく収まっていることに気づく日が、いつか必ずやってきます。
英語・英会話の上達を決定づける本質はアプローチの違いではなく、そのために投下した時間量がどれくらいか、ということだと思っています。
時間を要する点は、たしかにデメリットです。
スピード重視の現代、学習法としても不向きかもしれません。
そして現実に多くの人が時間を費やす作業に飽き、英語の勉強から離れてもいきます。
しかし続けてさえいれば、何年後か何十年後かはわかりませんが、気づく日は必ずやってきます。
自分が時間をただ費消していたのではなく、何かに変換して蓄積していたのだということに。
外部からの刻印や強制で身につけたものは、その吸収スピードも早いですが、外的強制が失われたりあるいは自分自身が開放されたその後に、外から受けた衝撃を長く心のうちにキープできるかどうかは、ひとえに本人の意識にかかっています。
急激に得たパワーは、得てして急速に失われやすいもの。
最初の例で言えば、英語オンリーの会社をもし辞めた後でも、そこで身につけたビジネス英語の力を維持できますか?という話です。
これに対して、時間だけを味方にコツコツ勉強を続けてきた人は、そもそも焼き付けるべき衝撃が最初から存在しないわけですから、外的環境が変化しようがしまいが関係なく、これまでどおりやっていくことになります。
まったくもって地味ですが、それでも止むことなく積み重なっていくものがあります。
書いてるうちに長くなったな…ま、アマノジャクですからね。
外の環境を頼りに力をつけていこうとする考え方が、他力本願的に思えてイヤだ…というだけかもしれません。
他力本願ご一行様歓迎(笑)って方もいるでしょうから、ま、話半分で聞いといて下さい。
でも本当に真面目な話、海外留学できずとも、職場が日本語オンリーであろうとも、そして住んでいる街に英語を話す外人さんが一人もいなくたって、そのための勉強さえ続けていれば、少なくとも自分の英語・英会話力にそれなりの自信が持てる程度にはちゃんと上達するものですよ。
※その後の進展についても記事を書きました。