英語力の向上に向けた、2010年的当ブログメッセージはこの3つ。
2010年スタートまで、あと数日。
月日の経つのは早いモンだ…とシミジミしている、そこのアナタ。
英語と英会話の勉強、自分なりのペースで、なんとか続いていますか?
当ブログ「そこツボ英語日記」も、はや4年目に突入です。
当初の意気込みはどこへやら、今では月に1~2回の更新がやっとの情けないアリサマですが。
しかしそれでも書き続けていますし、目が見えてキーボードが打てて、サーバー代が払える限りは一生更新を続けたいと思っています。
かように力む理由は、この「英語が上手くなりたければ、とにかく続けること。」というのが、当ブログのコア・メッセージだからです。
だからそう主張している本人が、メッセージ発信元のブログの更新を止めるようでは言行不一致、シャレになりまへん。
・英語・英会話の学習に、明確な目的意識なんぞなくていい。
・無理に楽しんで勉強しなくたっていい。
・3ヶ月や半年でペラペラなんて、もちろん目指す必要もない。
(…まぁ個々の事情もあることですし、やるぶんには構いませんけどね)
ただ要するに、「それらは英語が上手くなるためのrequirementsではない」ということが言いたいわけです。
多少のスピードや効率性のアップ、学習の要領が悪く回り道をすることなど、長い人生で見れば「誤差の範囲」と言っていいくらいで。
半年でペラペラになる方法を見つけたとしても、3~5年後、あるいは10年後にはどうなっているかについて、考えてみたことがありますか。
止めたら元のモクアミで、あなたの脳は短期集中トレーンングで得たものを、キレイさっぱり忘れ去ってくれることでしょう。
このことは過去に当ブログで何度も書いてますし、また別に2010年に限った話でもないですけどね。
そうであっても一番大事なことと思っていますし、当ブログからの2010年的メッセージの一発目としてはやはり外せません。
「英語学習を続けること、それ自体が英語上達の奥義。」なのです…。
…さて、さすがにこれまで書いてきた記事数も積み上がり、新しい記事を書くときにネタがかぶらないよう(実際にはかぶりまくってますが)昔の記事をあれこれ読み返していると、ブログをはじめたときは書いてる本人が思いもよらなかった、ある副次的な効果に気づきました。
いつのまにかこのブログ、自分自身の英語学習の備忘録になってるよ…と。
当たり前っちゃ当たり前ですが、書くときはいつもツタナイなりに、「読み手にとっての有益さ」を真っ先に考えて書いているつもりです。
ヒトサマに読んでもらう以上、何かしら英語・英会話学習のヒントを提供しようと思いつつ、読み手の目線を意識して記事内容を組み立てているわけです。
だから自分自身に読ませるモノっていう発想は、これまでまったくなかった。
しかしいまや自分自身も、このブログのリピーター読者のひとりです。
もし自分が英語や英会話の勉強から長い間離れざるを得なくなったり、あるいは迷うことがあったときなどは、まずこのブログを読み返そうと思っています。
そうすればいつでも、中断したところから、また英語の勉強を始められる。
だから「いつの日かの自分」が読み返すに耐えるものとして、このブログのクオリティを保っておきたいと、最近はますます思うようになっています。
ブログを始めた2006年末から3年、自分の英語力がどれくらい上達したのか(または落ちたのか)を測るための有用な備忘録としてこのブログが機能していることに、自分自身つい最近になって気づいたわけです。
TOEICとかを受け続けることによって定量的に英語力を測定することも、それはそれで大事なんでしょうけど、過去に書いた記事をザーッと読み返しているだけで、自分の英語力についての立ち位置が体感的に把握できるんです。
これは個人的に、けっこう新鮮なオドロキでした。
ということで英語力向上のための2010年的メッセージ、その二つ目。
「どのようなかたちでもよいから、英語学習の跡を記録しておくこと」を、提案したいです。
別に、英語学習ブログを開設しろとまでは言いまへん。
英語日記を毎日つけるとか無理して構えると、どうせ続きませんから(そう、ワタクシのように)。
思いついたときや余裕のあるときにだけ時々、気軽に記録をとればいいんです。
手帳や日記にメモってもいいし、英語についての関心事や感想をICレコーダーに時々吹き込んで保管しておくのも、いいかもしれません。
使っている単語帳やフレーズ集の余白ページに、購入日付や復習したときの日付、そのときどきの感想などを、ちょっとメモっておくだけでもいい。
今ハヤリの?twitterでひとりつぶやくのも、いいかもしれません。
ただし記録方法だけは、ずっと同じものに統一しておきましょう。
あるときは日記、あるときはtwitter…とかバラバラにすると、あとで見直すときにワケわかんなくなりますから。
歳月が流れた後、見直すことのできる英語学習記録がもし手元にあったなら、それなりの気づきが得られるよ…と言いたいわけです。
ついでに付け加えますが、ときどきの英語学習で参考になると思った本や教材、DVDなども、ぜんぶamazonのMy wish listにブッこんでおきましょうね。
これも数がたまってくると、立派な「英語学習プロセスの記録」になりますから。
Amazonのウィッシュリストで、自分の英語・英会話ライブラリーを作る。
英語力向上のための2010年的メッセージ、最後のひとつです。
英語学習においては、「なんであれ、他との比較をいつも意識する」こと。
たとえば、英語で投じられたニュース・論説記事・ブログなどの視点をチェックして、自分が日本語を通じて得た情報と並べて比べてみる。
こういったことの習慣化が、ますます大事なご時世になってきているんじゃないか…と、最近とみに思うわけです。
だってなんだか最近の日本って、このネット時代に逆行するかのようにますます「情報鎖国的」というか。
国内メディアの情報だけに目を通していたら判断を誤りかねないくらいに、日々の政治や経済関連の情報における偏り・事実からの乖離が目立ってきているんじゃないか…と思うのは、果たしてワタクシだけでしょうか。
必ずしも各メディアの報道スタンスの違いという話でなく、日本国内でわれわれが日本語を通じて得る内容と、海外メディアが日本について語っている内容の絶対的な開きが、最近ますます大きくなってきているような気がしてならないんですよ。
特に政治・経済の分野において、同じテーマを扱っていても解釈や強調点が国外と国内ではこんなに違う…という「落差」を、目の当たりにすることが増えました。
たとえば、いま政治的にホットな普天間基地の移設問題。鳩山首相は、決断時期そのものを延期しましたよね。
この決定に対するアメリカの主な論調はどうなのか、ひどく怒っているのかあるいはしばらく様子見を決め込んでいるのか、日米同盟への今後の影響は大きいのか小さいのか、そもそもこういう政治決定の先延ばしが国際的にどう見られているのか…正直国内の報道を読んでるだけは、よくわからないのではないかと思います。
せっかく英語を学んでいるわけですし、こんなときは欧米の複数のメディアの論調をウェブで直接チェックして、日本のそれと比べてみましょう。
アメリカのメディアと日本のテレビや新聞との間では、問題の重要性や捉え方において、かなりの温度差があることに気づくはずです。
これは一例ですが、このように比較することではじめてわかる事実や気づきも多いものですし、英語と日本語を行ったり来たりして「比べる」という行為そのものが、英語学習そのものにも深みを与えてくれるはずです。
「英語を通じて比べること」は「英語圏の発想に触れること」であり、それは同時に「英語そのものを学ぶこと」でもあるのです。
ということでまとめると、当ブログおすすめ、英語力向上のための2010年的メッセージは、以下の3つです:
・英語学習は、とにもかくにも「続ける」こと
・英語学習の跡を、自分なりに「記録」しておくこと
・英語学習においては、いつも「比較」を意識すること
…とまぁ、2010年もなにかときびしいご時世が続くようではありますが、来る一年でさらに英語・英会話力がまた少し上達しているように、これからもコツコツやっていきましょう!