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    2008年03月04日

    英語・英会話学習、いわゆる「完璧主義」を考える(1)。


    前回のコラムで、「リスニングでは全力で100%聞き取りにいく。」といったようなことを書きましたが、100%=パーフェクト・完璧、ですよね。

    そこで本日は、左に大きく振れた振り子を右に振って精神的バランスをとるが如く、英語・英会話の学習ではいったいどこまで完璧を期すべきか、ということについて、思うところを書いてみたいと思います。

    「これまで完璧な英語を話すなどと考えたことも、目指したこともない」という方をとりあえず想定外とした話になりますので、そこはご了承ください。


    よく世間で言うところの完璧主義、というのが、英語・英会話の学習の現場において、普通はどう現れてくるかについての例を、いくつかあげておきますと。

    ・英会話において、文法的ミスのない、イントネーションやアクセントもきれいな非のうちどころのない英語を話したい。それができない自分が、何かしら許せないような気がしている。

    ・原書を読む時に、わからない単語があるのが気持ち的に収まりが悪くて、後で辞書で必ず意味をたしかめておかないと気がすまない。

    ・英単語の暗記で、自分で決めたノルマを守らなければ気がすまない。しかも、単に日本語の意味をおぼえるだけでは底が浅い学習のように思えて、類義語や語源をチェックしたり、あわせて英英辞典での定義や、用例となる英文までもおぼえるように努力している。
    そこまでやらないと、本当に英単語学習をしたことにはならないのではないか…という気が、内心いつもしている。


    まぁ普通は、こんな感覚で対応している自らのことを、「私は、どちらかというと完璧主義的な性格だ」などと形容したりしているんじゃないでしょうか。

    しかしお気づきの通り、この場合の「完璧」というのは、結局は『自分の内心で設定したところの、「完璧」の定義・範囲に沿っているかどうか』ということですよね。

    いま、自分が向かい合っている一つ一つの英会話の表現や英単語において、ここまで覚えて使いこなせたならば完璧ですよと、(商売のセールストークとして乱発する場合は除いて)誰かが保証してくれるわけでも、客観的な基準があるわけでもない。

    言ってみれば、自分が漠然と抱くイメージをモノサシとして、そこと現在の自分との間に横たわる距離をざっと測ってみて、「パーフェクトに近い」「完璧とはほど遠い」などと、おおよその感覚で言っているに過ぎないわけです。


    で、このモノサシとなるイメージは、われわれの日々の生活で、何気なく見たり聞いたりしている、雑誌やテレビからの情報、知人との会話などで形成された世間的な印象で、形作られている場合が多いはずですね。

    たとえば、最近とある缶コーヒのテレビCMで、会議の席で外人ビジネスマンの問いにカタコトの英語で返答した新入社員を、タレントがかけつけたりヘリが飛んだりパレード行進したりで、街をあげて大変な騒ぎで祝福する…という内容のCMが流されているのを、ご存知でしょうか。


    このようなCMが一日に何回も流れているこの日本で、「日本人が英語・英会話をみるときの感覚」について、無意識下である種の刷り込みが行われてしまっていることは確かだろうと、ワタクシは思うわけです。

    テレビに限らず、英会話学校や英会話教材あるいは様々な媒体を通じて、手を変え品を変え、長年にわたって行われてきているこういった「日本人の英語・英会話の、理想的到達イメージ」に関わる刷り込み作業によって、我々は漠然と「こういうことができている状態こそが、”パーフェクト”な英語・英会話学習だ」という基準を、自らの頭の中にそれぞれ作ってしまっているわけです。


    端的に言ってしまえば、自分が「完璧」と漠然と考えているその学習内容は、他人にとっては穴だらけな内容かもしれないし、逆に過剰でマニアックにすぎる、と映るかもしれない。

    つまるところ、自分が達したと考える「完璧」な水準は、どこまでいっても相対的なモノサシを用いてあれこれ評価される自己満足の世界なわけで、その意味では「完璧」という言葉自体、単なる形容に過ぎないとも思うのですが。

    ただ、なにかしらそういうものがないと、今度は自分の立ち位置がわからなくなって不安になる部分があるから、おのずと「完璧主義」などという表現を使うようになってくるのでしょう。


    だから、「英語・英単語の勉強をするときはどうしても細かいところまで気になる。学習には「完璧」を期さねば気がすまない」という方は、自分でいうところの「完璧」というのが、いったいどこまでの範囲を指していて、なぜ自分がその到達点を「完璧」と考えるようになったのかについて、一度見つめ直してみるのも、あながち無駄なことではないと思います。


    続きは次回に。

         










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