外国人力士が日本語がうまいのは、アタリマエ。(3)
この間から続く話題の、最終回です。
「英語の四技能、聞く・話す・読む・書くがあるが、全部できなくてもいい。まずは、『聞く・話す』を覚えたい人が多いのだから、『読む・書く』は、必要に応じてやればいい。」という考え方について。
これについてはもう、「それは無理だろ」とツッコミを入れるしかないですね。
昔の日本にも、学校に行けなかったために、会話だけができて、文字が読めない・手紙が書けないという人が、農漁村などにたくさんいたようですから、「聞く・話す」だけマスターすることは人として不可能である、とまでは言いませんが…。
このコラムの筆者は、英語教育の世界でも、そのような二技能だけができるヒトの「英語版」を意図的に量産できるような教育内容に変更せよ、とでも言いたいのでしょうか?
外国語としての英語に接する際は、「聞く・話す」の二技能を学ぶ手段として、「読む・書く」も一体のものとして学んでいくことが、どうしても必要だとワタクシは思います。
英語に限らず、外国語の学習者にとっては、「聞く・話す・読む・書く」の四技能は、不即不離の関係にあるはずです。
「読む・書く」の勉強をしながら、「この単語、どうやって発音するんだ?」とか、「こないだあの外人が話していた時に使っていた表現って、もしかして、これかぁ」などと、「聞く・話す」の世界に思考が飛んでいく瞬間が、誰にもありますよね。
もちろん逆もまたしかりで、こうやって「聞く・話す・読む・書く」の四つに触れて、その中をぐるぐると行きつ戻りつする過程のなかで、コトバに対する感覚が育っていくのではないか、と思います。
4つとも勉強していくうちに、結果的に「話すのが不得意」「書くのだけは苦手」となってくる場合はあるでしょうが、最初から「聞く・話す」部分だけをしこたま勉強させて、その2技能だけ上達させようというアプローチは、そもそも高度情報化した現代の日本においては、物理的にもほとんど不可能ではないでしょうか。
紙とペンと本のない部屋で、ネイティブと一緒に24時間、3年くらい缶詰状態で生活したなら、あるいは、そういう特殊能力の持ち主になれるのかもしれませんが(笑)…。
「聞く・話す」を学ぶ手段として、英会話本などを買って「英語を読む」ことに頼る部分も、現実にはどうしても多くなりますし、それはそれでよいのだと思います。
ただの1ページも紙のテキストを渡してくれない英会話学校、自分の聞き取れないフレーズをメモに書いて渡してもくれない英会話講師、そんなのは、学ぶ側としても不安になりませんか?
ワタクシだったら、イヤですけど(笑)。
さらに言えば、ひょっとしたらこれからの時代、むしろ英語を「読む・書く」の技能に優れているほうが重要、とされる風潮になってくるのではないか?とすら、思う時がありますよ。
ネットで情報を速読し、eメールで相手と意見をたたかわせることができる。
個人が受容する情報量が年々膨れ上がってくる現代ニッポン、そのような不特定多数を対象としたメッセージの受領と交換を苦もなくできる能力のほうが、「話す・聞く」力よりも、これからは高い評価を受けるようになってくるかもしれません。
ですので、「『読む・書く』は必要に応じてやればいい。」などというのは、ワタクシに言わせれば、とんでもないことであります。
四技能ともまんべんなく伸ばすよう日ごろから意識しておかないと、最終的には『聞く・話す』の二技能ですら、モノにすることができなくなります。
と、いうことで、ツッこんでいるうちに、話が長くなってしまいました。
英語・英会話の学び方については、皆さんかように人それぞれで、意見もバラバラ、学習アプローチも様々です。
以前も書きましたが、この筆者やワタクシを含め、特定の主張・意見だけに、全面的に組し、依存しないことですね。
いろいろ見聞きしたのちに、最終的にはアナタなりのスタイルを確立していくことこそが、「少なくともあなたにとって」もっとも効果のある方法になるはずですから。