外国人力士が日本語がうまいのは、アタリマエ。(2)
外国人力士が日本語がうまいことは驚くに値しない、という前回からの続きです(今回はじめて読まれる方は、前回もお読みくださいね。)
24時間日本語漬けの環境にいて、TVのインタビューで日本語でよどみなく受け答えするこのような外国人力士を見て、「日本の英語教育にも、活かせるヒントがある」、そして「本当に英語をモノにしたいのなら、『英語を学ぶ』ではなく、『英語で何かを学ぶ』精神でいくべきだ」と、この記事を寄稿された方は続けています。
この辺から、「エ、その結論、ちょっと違うかも?」と思ったわけですね。
まず、「日本の英語教育に活かせるヒント」とは、一体なんでしょうか。
記事を読む限りでは、ワタクシにはどうしても、「英語を集中的に使う環境のもとに学生たちを置いて、英語以外の何かを学ばせるやり方を、日本の英語教育にも取り入れていくべきだ」と言いたいように、読めてしまいます。
これは、まず現実問題として、日本の英語教育をそう持っていくこと自体が、かなり難しいですよね。
極論を言えば、そのためにはこの日本で「24時間えいご漬け」という環境を一定期間(最低でも1年くらい必要では)実現しなければならないと思いますが、英語の他にもいろいろ教えなければならない学校教育で、それをどうやって実現しろというのでしょうか?
それとも、よく英会話学校でやっている「レッスン中は日本語禁止」を、学校の授業に取り入れるということでしょうか?
効果ゼロとまでは言いませんけど、まず数年は様子を見ないと効果のほどは計れないでしょうし、とても日本語を流暢に話す外国人力士のようにはならない、と思いますよ。
だいたい、そんなに劇的な効果があがる方法なら、英会話学校ではそもそも採用されていないと思います。
生徒さんがすぐに英語をマスターして卒業してしまうと、彼らは経営的にあがったり(笑)ですからね…。
それから、「英語を使って英語そのもの以外の何かを学ぶ」というのは、ワタクシは、聞く・話す・読む・書く、すなわち英語の四技能が、ある程度できるレベルに達した後の話ではないか?と思うのです。
それまでの間、つまりは学校教育で英語を学んでいるくらいの期間は、「英語そのものを学ぶ」ことこそ、先決でしょう。
この「24時間えいご漬け」とはいかない日本で、ある程度の年齢になるまで過ごしてきた普通の日本人が「本当に英語をモノにしたいのなら」、どちらをとるかと言えば、絶対に「英語そのものを学ぶ」方が先だと思います。
それに、英語力がつたない人で「英語そのもの以外の何かを」どうしても学びたいというのなら、先に日本語を通じてそれらを学ぶほうが、よほど有用だと思いますよ。
たとえば、英米人のコミュニケーションについて知りたいなら、書店に行けばすぐれた翻訳書や日本人の手による異文化論の専門書が山のようにありますから、日本語でしっかりそういうものを読むことでちゃんと「英語そのもの以外の何かを学ぶ」ことができるということです。
え、分厚い洋書を辞書を引き引きしながら、たとえ一ヶ月かかっても、英語で読むほうがよい?
そうしてもいいですが、その場合は、実はその人は、まだまだ「英語そのもの」を学んでいるにすぎないのだ、と思いますよ(笑)。
ということで、「英語で何かを学ぶ」というのは、英語の四技能がある程度の水準に達していないとムリがあると思いますし、限られた時間しかない日本の英語教育においては、むしろ「英語という言葉そのもの」を、どう効果的・効率的に教えていくかということこそ、まだまだ研究されるべきだと思います。
うーん、本日でこの話題については、終わるつもりでしたが…。
つい長くなりましたので、最後にやりたかったツッコミは、次回に回します。
では、また明日。