リスニング、「一言一句を聴く」よりは「相手の話を聞く」つもりで。
本日はリスニングの勉強について、ちょっと思っているところを。
「英単語やフレーズをもらさず正しく聴き取ろう」とあせる気持ちの力みをフッとぬいて、「このひとは何を伝えようとしているのだろう」というメッセージを探りとる気持ちで話を聞くことが、大事だと思うわけです。
相手の伝えたいメッセージのコアを拾い上げることに、自分の意識を集めていく感じ。
まぁ英語圏の人たちはたいていの場合、一番言いたいことを最初に口にするはずですので。
日本語の場合は、最後まで聞かないと結論がよくわからなかったりしますけどね。
なので相手の話し始めには特に注意して、その人がメッセージしたことをちゃんとつかまえにいく。
これがちゃんとできたら、自分のなかでまずはヨシとします。
そのあとは、そう考えた「理由」とか「状況の説明」へと話が細かく下りていくわけですが…。
相手が話の最初で放ったコアのメッセージをきちんとつかまえた自覚があるなら、あとはそのメッセージを自分の心の真ん中に置いて、話している相手がそれにどう肉付けしようとしているのかを自分なりに追いかけるつもりで聞く。
内面的な心の動きの話ですからなかなかピンとこないかもしれませんが、ワタクシが言わんとするのは、話を聞く自分の「意識の置きどころ」です。
これまで勉強したことをベースに英単語や英語フレーズの意味をとりにいこう・聴き取ろうという意識を強く持って聞いていると、ついつい肝心の「目の前のその人が伝えたいことを聞く」という部分が、どこかに追いやられてしまったりするわけです。
マジメで熱心な英語学習者ほど無意識のうちに、相手が話した一言一句を、100%すくい上げにいこうとするものです。
1%でもすくい漏れがあると、やり残しのあるジグソーパズルを額に入れて飾っているみたいで、どうしてもスッキリしなかったりする。
かつてのワタクシなぞは、モロにそうでした。
かりに勉強の甲斐あって、相手の話した単語や文章の意味がすべてとれたとしても、肝心の話のメッセージが自分の心の内に入ってこないと、自動翻訳の精度を高める作業に集中しているようなもので、「話を聞いた感覚」のようなものがなかなか心に残らない。
「あのときは確か、こんなこと言ってたよね」というものが自分なりの消化を経て、時間がすぎても自分のなかに多かれ少なかれ残ってしかるべきなのですが。
これが「英会話のリスニングをするんだ」と構えてしまうと、どうしても相手の話した文章を「均等に・漏らさず・正しく」拾いにいくほうに先に意識が向くので、「あのとき、あの人はこのことを言おうとしていた」というそのひとが放っていた熱のようなものを、案外拾い忘れているものです。
ただ誤解のないよう、コアメッセージだけつかまえたら残りの枝葉はバッサリ聞き流して捨ててしまえ…とまで言ってるわけではありません。
外国語を学ぼうとしているわけですからそれではやはりダメだと思うし、細かい点をコツコツ拾いにいく姿勢が実力をつける一面があることもまた確かだからです。
しかし一生懸命やっているのにリスニングが苦手で…という学習初心者の多くが、「相手の言ったことを全部聴き取れない→話を正しく理解していないのではないか」という順番で考えて、モヤモヤと不安を抱えていたりするのではないでしょうか。
要は、肩に力が入りすぎなんです。
気持ちの持ちようとしては「相手が言わんとすることをまず聞き出すぞ→細かい理由は聞き落としたけど、まぁ話の本筋は一応押さえた」という感覚でリスニングの勉強を続けるほうが、少しばかり楽ですよということです。
日本語だと「相手の話を聞く」ときに、これは無意識レベルでちゃんとできているんですよね。
どうでもいいところはフンフンと聞き流して(もちろん記憶にも残さず)、「で、要するにこう言いたいワケね?」と話のポイントや結論だけは、しっかり頭の中にしまいこんでいる。
この聞き流した日本語がたどる運命は、結果的に英語で聴き取れなかった単語やフレーズと一緒なわけで。
日本語のネイティブとしては、相手の話す日本語を最初から全部拾い上げようという気もはじめから無いが、それでいて会話をした感覚は心の内にしっかりと根付いているわけですね。
英語でも最終的にこんな感覚を揺るぎないものにできたなら、たとえ相手の言っていることがパーフェクトに聴き取れなくても、ずいぶんと気持ちに余裕ができるはずです。
ネイティブと話すときは、耳から入ってくる英語を聴くというよりも、できれば少しリラックスして、目の前で話す「その人の話を聞く」という心持ちを持って聞くんです。
ネットやCD・iPodなどで声だけを聴く環境なら、発音や細かな一言一句の聴き取りに意識を向けるのでなく、その人のキャラクターや身振り手振り・表情までを勝手に頭の中でイメージしながら聞くようにする。
気の持ちようのささいな違いと言えばそれまでですが、いつの日かに得るものの大きな差につながるところだと、ワタクシは思っています。