長寿医療制度のゴタゴタから学んだ、英語・英会話学習のひとつの本質
本日は、この4月からスタートした長寿医療制度(後期高齢者医療制度)の話題を、前フリにします。
話の枕としてはちょっと長めですが、最後は英語・英会話の話でうまいことまとめますので、どうぞご勘弁を(笑)。
新聞やテレビのニュースで皆さんもご存知のとおり、75歳以上の方を対象にした、この新しい医療制度。
すでに始まったにもかかわらず、新制度のことをまったく知らなかったり、到着した新保険証を間違って捨ててしまったりするお年寄りが、全国的にずいぶんたくさんいるようですね。
いまごろになって、「この保険証は何だ」とか、「年金が減るのは困る」とかいった苦情とともに、新制度についての問い合わせが、市町村窓口などに殺到している…とのことです。
「これまでの国の告知やPRが不徹底だった」と、非難を浴びっぱなしの行政サイドは、制度の名称を変えてみたり、新保険証がなくても医療費の窓口負担が変わらないようにするなど、そのフォローに大わらわ…といった感がありますね。
この新制度の良し悪しは別として、実はワタクシ、この点でちょっと不思議に思っておりました。
「甘い」と言われるかもしれませんが、この制度の事前PRについては、自治体(市町村)としては、まぁまぁよくやっていたんじゃないの?と、思っていたのですよ。
それにもかかわらず、知らないヒトがまだこんなにいるのか…と。
市役所などでは、だいぶ前からパンフレットやポスターを見かけていたし、市の広報誌などにも、数ヶ月前から何度も掲載されていました。
たとえば、病院のロビーにもポスターが貼ってあったし、年が明けてからは新聞でも特集記事などを、結構たくさん見たような気がします。
なのにどうして、こんなにまで「制度PRが不徹底」と、非難ゴウゴウになるのか?
「はじめて知った」という人が、この時期になってなぜこんなにたくさんいるのか?
そこが、不思議だったんですね。
で、すでに「前期高齢者」となる母に、雑談がてら、この話を振ってみたんですよ。
すると、「お年寄りに新しい話を伝えるときは、そんな程度のやり方じゃ、全然ダメよ」と言うんですね。
母によると、高齢でもしっかりした方はもちろん多くいるものの、とにかく歳をとってくると、世の中の動きに関心をまったく示さない、テレビも見ないし、字の細かな新聞も読まない…という方も、世の中にはかなりいるそうで。
だから、行政側がどうしてもトラブルを起こしたくなければ、直接一軒一軒お宅まで出向いていって、目の前で本人に話してくるくらいのことまでやらないと、新しいことなどはまったくもって「伝わらない」お年寄りが、世の中にはずいぶん多いんだ…との話でした。
うーん、そうか。
正直、どうしてせっかくきた保険証を捨ててしまうんだろう?…と思っていたのですが、伝える側がそれこそお役所仕事で一回や二回話したりしたくらいじゃ、まったく伝わっていないということが、現実にあるんですね。
で、ようやく本題ですが(笑)、この話を英語・英会話の勉強への応用として考えてみて、ふたつ気づいたことがあるんですよ。
ひとつは、この新医療制度のPRの一件と同じく、「自分の英語・英会話表現が完璧であったとしても、相手にまったくその真意が伝わっていない、コミュニケートできない」という場合が、現実にも存在するだろう…ということ。
ワレワレ学習者は、ともすれば自分の英語が相手に伝わらなかったときは、英語の表現のここがまずかったとか、発音が下手だったからだろうとか、自らの技術面にその原因を求め、つい反省モードに入ってしまいがちなものですが。
ただ必ずしもそうではなく、それ以前の、関係者のコミュニケーションをとりまいている全体的な状況を理由として、意思疎通を欠くケースも、おそらくはたくさんあるでしょう…、ということです。
もしそうだとしたら、本当に英語・英会話がうまくなりたければ、そのことに気づく力が必要になる。
だから終局的には「英語を介したコミュニケーションそのものに対する理解」を深めていかなければならない、ということになりますよね。
裏返せば、英語表現や英単語数など、モロモロ技術面の上達だけを追いかけているだけでは足りない、ということです。
そしてふたつめは、「英語・英会話がうまくなる方法」を誰かから提示されたとき、コトの成否は「その内容を消化し運用する側のコミュニケーション力」にほぼ全面的に依存することになる、ということ。
これも考えてみれば、当たり前の事実ですが。
要するに、いくら世間的に評価の高い教材や学習アプローチがあったにせよ、どれも結局はアナタのキャパシティにあうように自動的にサイズ調整されてしまうから、そのすべての恩恵を受けられるとは限りませんよ、ということです。
だから仮に、あなたが「3ヶ月でペラペラになれます」と、高額な英会話教材や英会話学校を売り込まれたような場合、そのコンテンツ自体に問題があるにせよ無いにせよ、いったんそれが利用者であるアナタに渡った時点で、アナタの消化力・理解力のキャパシティにサイズがあうように、コンテンツがいわばregulateされてしまう、ということです。
だから、世間にあふれる英語・英会話のためのコンテンツのなかで、いったい何が「アナタのサイズ」にあうのか、また「アナタに合うように」どの程度そのサイズ調整をする必要があるのか、結局のところそれを感覚的に決められるのは、当のアナタ自身をおいて他にない、ということです。
以上を一言でまとめてしまえば、ま、「英語・英会話が上手くなりたければ、つまるところ自分だけが頼り」という、ミもフタもない(笑)結論になってしまうのですが。
何かを伝えたり、伝えられたりすることって、意外とタイヘンなことなのかもしれません。
「伝わったと思ったメッセージは、ひょっとしたら伝わっていないかもしれない。
そして伝わらなかった理由も、さまざまな形で存在するのだ」ということを、絶えず背中に感じながら、ワレワレは英単語の暗記や英会話表現の練習をしていく必要がありそうですね。
ま、いずれにせよそういうことで、「今のアナタには、この英語教材がオススメ!」とか
気安く近づいてアドバイスしてくる御仁には、注意しましょうね(笑)。