「英語の勉強、面倒くさい」という気持ちとの戦い方(3)。
ちょっと間が空いてしまって、申し訳アリマセンでした。
「英語・英会話学習における面倒くささの克服」をどうするか、というテーマの三日目であります。
前回は三つある個人的克服法の、ひとつめをご紹介しました。
それはすなわち、「やらないで済む状況のときは、極力やらない」というだけのこと。
その間に他の雑用などを片付けて、後のための時間を大きく空け、心の中の「久しぶりに英語・英会話をやってみたいんだ!」という、ある種の飢餓状態が最高に盛り上がるまで待って、最後に一気に開放するようにする。
そうすると脳だけでなく、目も耳も、体のすべての器官が、おぼえるためには最高の状態で働いてくれる。
まとめると、そういったことでした。
本日は、ワタクシ的「面倒くささの克服法」の、二つ目のご紹介となります。
ご紹介した最初の方法を、英語・英会話学習においても時おり行っているうちに、いつの間にかそれを、変則的に応用するようになってしまいました。
すなわち、「やらないで済む状況のときは、極力やらない」などというレベルでは済まなくなってしまい(笑)「やれる状況の時であっても」、その場はあえて見送り、時間的締切がギリギリになるまで待ってから、集中して一気に、英語・英会話学習を大量に行う」というやり方を、時々するようになってしまったのです…。
一言で言えば、「締切のある時は、締切がギリギリに近づくまで、あえてやらない」大作戦です。
もう、こう書いただけで、反論が矢のように飛んでくるのが想像できます。
そもそも、大量に成すべきことに追われる忙しい現代、こういう状況に陥ることを避けんがために、「タイム・マネジメント」の重要性が、これだけ声高に叫ばれているのでしょう。
だいたい、ギリギリにやって仕上がらなかったら、どうするのだ。
それに時間がおしてから着手したところで、急いでやっているぶん、よい結果など期待できるはずもない。
スケジュール管理をしながら、毎日少しづつ量をこなすことこそが重要である。
反論の主なポイントは、そんなところでしょうか。
しかしですね、ワタクシだけではなく皆さんだって、人生において仕事でも宿題でも、睡眠時間を削ってやって、締切ギリギリになんとか仕上げた…ってことが何度もあると思うのですが、いかがでしょうか。
その是非は横において、その時の心理状態としては、「パーフェクトではないにせよ、期限までにはなんとかやり終えた!やったぞ(あるいは、やれやれ)」といった気持ちのほうが、強くはなかったですか?
つまり、達成したその内容の質の検証などよりも、明らかに「期限まで達成できたこと」そのものを喜ぶ心理状態に、なっていませんでしたか?
こういう気持ちになることこそが、延々と果てなく続く、「英語・英会話学習」においては、実は大切なことではないかと、思うわけです…。
ゆっくりと毎日少しづつこなし、100%内容をこなすことで得られる達成感よりも、自分の集中力の強さを確認できると同時に、達成感(面倒くさいといいながらも最終的にはやり終えたという自信と、締切からの開放感)も得られる、このいわば二重に感じる快感のほうが、実はずっと強かったりするのです。
かりに締切間際に急いで仕上げたぶん、ゆっくりやったときに比べて、内容の精度が70%程度の出来まで落ちていたとしても、それでも仕上げるべきことをなんとかひととおりやり遂げたという事実そのものは、変わりありません。
少しづつ毎日時間をかけることで得られた100%に比べて、強い集中力で70%を得たことの喜びのほうが「確実に劣る」かどうかは、誰にもわからないはずです。
むしろ、気持ちが乗らない状況で毎日のスケジュール消化に無理にこだわる時間が長く続くと、そのことを完遂した後、新しい次のことに手をつける気力がわいてこないかもしれません。
仮に、イヤになって1回こっきりでやめてしまったら、100%(1回目)+0%(2回目)=100%で、結局得られた成果は、最初の100%だけです。
しかし、たとえ70%しかできなかったとしても、ひとつのことを仕上げた喜びと自信が次へとつながって、次を60%程度こなしたとしたら、70%(1回目)+60%(2回目)=130%となって、得られた総量が結果的には多かった、という場合だってあるかもしれませんよね?
だから、「締切間際に一気に片付ける行為」そのものが悪いんじゃないと、かねがね思っているわけでして。
問題の本質はたいていの場合、「締切間際に、その事を片付けるためだけに集中するための、充分な時間がとれないこと」にあるんじゃないでしょうか。
したがって、前回もお話しましたが、意図的に締切ぎりぎりまで待つ場合であっても、その一事に着手する前に他の雑事をできるだけ片づけて、集中するためのまとまった時間を大きくとれるようにしておくことを、事前準備としてやっておくべきですね。
英語・英会話の具体例で、英単語200個を新たにおぼえようとしている場合を、見てみましょう。
20個ずつ、気持ちが乗らないときも面倒くさいと思うときも、雨の日も風の日も、毎日判で押したように一日20個×10日と消化していくやり方も、それはそれで悪くはないでしょう。
しかし、最初の9日間、いっさい英語と名のつくものを、やらないとする。
その代わり、最後の一日を「英単語デー」として設定し、その日をまるまる空けられるよう、その前の9日間のどこかで、雑用をあらかじめ片づけておく。
10日目となる最終日の一日、200個を一気に集中して、朝から晩までおぼえる。
なにせ今日一日しかないと思えば、そりゃ集中度も高まることでしょう。
そして最後、無理やりおぼえたことにして、終了宣言をする。
こういうのも、そう悪くはないんじゃないでしょうか?
次の日には悪くすれば、おぼえたうちの4割くらいは、ど忘れしているかもしれません。
しかし、その忘れた4割を再度記憶に定着させることは、あとで反復練習さえ行えば、済む話でもありますよね。
むろん、ワタクシだってそういつもいつも、すべてを締切間際まで、我慢しているわけではアリマセン。
備えていたその最終日にどんなアクシデントが起こるかだってわかりませんし、気分のいい時が長続きする場合などは、毎日コツコツと量を消化して、カレンダーに進ちょくをメモったりもします。
しかし、つまるところ「面倒くさい=大変なので、気が乗らない」ときは、「やらない」という選択肢を除けば、解決法としては、大変じゃなくなるように工夫するか、さもなくば気が乗るようにするか、または気分にかかわらず自分にムチ打って無理やり強行するか、のどれかしかないわけです。
最初のふたつは効率化による解決で、あとのひとつは、心理的プレッシャーにより集中力を高め、分量消化のスピードアップを狙う解決となります。
そのどちらがよくて、どちらが悪いやり方、ということではない、と思うのです。
方法論のチョイスの問題であります。
巻尺とモノサシを比べるようなもので、「面倒くささを克服しなくてはいけないときの状況」に応じて、そのやり方を使い分けるようにしています。
あたかも、机の長さをはかるときはモノサシを使い、ウェストサイズをはかるときには巻尺を使うが如くに。
記者や小説家にも、締切間際に一気に仕上げるタイプの方が多いようですが、きっとそうするのが自らの集中力を研ぎ澄ますよい方法のひとつであることを、無意識に感じ取っているからじゃないか…と、思ったりもします。
ということで本日は、締切ギリギリまで腰があがらない自分に、内心ひそかにコンプレックスを抱いている方々の分も含め、都合のいい持論を展開させていただきました(笑)。
それでは、また次回に。