英語・英会話を学ぶ時の自分の立ち位置を、ちゃんと決める。
昨日は少し早く寝てしまったら、午前3時というヘンな時間帯に目がさめてしまい、目が冴えてしまったので起き出してPCを立ち上げ、先ほどまで色々な英語ブログを、見るともなくいろいろと見ておりました。
あれですね、改めて言うまでもないですが、こうしてみると英語ブログといっても、実に様々なジャンルがありますね。
英会話の重要フレーズといった定番以外にも、ドラマや歌の英語解説から、文法の掘り下げや英検・TOEIC対策、洋書・個人的な勉強記録・英語日記、子供の英語教育に至るまで、もう様々であります。
まぁ中には、妙な色モノ?もありますが(笑)、内容的に充実したかなり参考になりそうなサイトもたくさんあり、ホントに目移りしちゃいますね。
自分の人生において、実にいろいろな目的を持って、英語・英会話というものにかかわっていこうとしている人たちが、こんなにもたくさんいるのだなぁ…と、なんというか、感心してしまいました。
でも一方で、途中で目移りしたり他のジャンルに迷い込んだりで、英語・英会話を続けることをあきらめてしまう人もかなり多いんだろうな…とも思いましたね。
ワタクシの場合、小学校の高学年くらいで英語というものにはじめて触れ、どちらかというと「どうなりたい」という強い意志も持たず、タラタラと何十年も英語に触れるのを止めずに、ここまでやってきていたら、それなりに上達していたクチです。
まぁ、せっかく学び始めたものだから身につけないと…というある種のしつこい思いというかケチくささというか、執念じみたものは確かにありましたが(笑)、職場にネイティブがたくさんいたとかで環境で恵まれていた時期もあり、自分のケースは、やはり自分だけに当てはまる類のものなのだ…と思っています。
ということで、当たり前のことながら、ヒトそれぞれに環境も異なるし、個人個人の問題だとは思うのですが。
ただ、ひとつ経験的に申しあげておくとしたら、必ずしも英語の勉強に限りませんが、「普通のヒトは、そんなにたくさんのことはできないものだ」、ということですよね。
そこの若いおかた、時間もたっぷりあって、自分はいろいろな可能性があって何でもできそうな気が、なんとなくしていませんか(笑)?
そうでもないんですって。
いずれ、しみじみと気がつく時がきますけど…。
とりわけ現代は、何においても時間が限られている中で、選択肢だけが膨大に、もうそれこそ過剰に、我々を取り囲んでいるわけですからね。
人生をよく生きられるかどうかは、自分にとって必要なものを、適切な順番と重要度をつけて「選び取る力」が本人にあるかどうかに、もう全部かかってるんじゃないの?と、思うくらいです。
英語ひとつにしたって、結局、自分は英語への時間投下を通じて、何を得たいのか?どういう状態を実現したいのか?裏返せば、何はできなくともよいのか?何を選びとり、何は捨てる、あるいはあきらめるのか?という話です。
そういうことについて、「英語への関わり方の立ち位置」を、自分なりに納得がいくように決めておいたほうがいいです。
もしアナタが、英語をこれからも末永く続けていきたいならば。
そして、目的外の範囲には、あえて深く踏み込まないで、意図的に回避する。
「何でも見てやろう」という題名の本が大昔にあったような気がしますが(笑)、もう「何でも見てやろう」の時代は終わっているのです。
現代は「自分はこれを見るのだ」と決めてかかる時代なのだ、という気がします。
なんだかとりとめがなくなりましたが、個人的は大事なことだと思っているんですよ、ホントに。
「選びとる」ってこと自体が、大変なエネルギーを要する、ひとつの偉大な能力だと思うのです。
「自分はいったい何のために、目の前の英会話本や英単語帳を、こうして広げているんだろう?」ということを、やみくもに覚えにかかる前に、自らに問いかけてみることは決して無駄なことではない、と思うのであります。