(2)外国人と話すとき、なぜキンチョーするのか?
英会話において外国人と話すときの、キンチョー感に関わる考察(笑)を続けます。
まぁ、海外に住んでいて、回りに日本人の姿は影も形もなく、現地の人と英語でやりとりしなければ生活すらままならない、というような環境ならば、話は別かもしれません。
あとは、向こうで生まれ育ったとか、仕事で何年もいたとかね。こういう人たちは、いちいち緊張していたら神経が衰弱して身体が持ちませんので、この話題からは当然に除かれます。
(ちなみに、いきなり話がそれますが。
いわゆる帰国子女で英語がペラペラだとか、出張で海外に何年もいたとかのバックグラウンドがあって英語がうまい人たちは、うまくて当然なので、あまり大きな顔をせずに、日々謙虚にしていただきたいものだ、とドナは、いつも内心やっかみ半分で思っています。
そんなのは、外的な環境の強制的作用で、その人の脳に英語力を上げさせるよう英語を適応させる強力なドライブかかっているだけですから、うまくなるのが当たり前なんですよ。
むしろ、この日本から一歩も出ずに、「チキショー、国内で英語ベラベラになってやるわい!」と、辞書や英単語帳片手にシコシコ頑張っている人たちのほうに、異様なる親近感(笑)をおぼえます。
ま、かくいうワタクシが、モロそういう人間でしたからね・・・。
なので、このブログはそういう人たちに向けて、書いているのであります。)
おぉ、話が大きくそれたので、元に戻します。
まず、ワタクシが考える、「キンチョーの理由その1」は・・・
「未知との遭遇(笑)、未知なる者への恐れ」が心の奥底で働いているからではないか?、と いうものです。
目の前の相手をよく知らない・・・ということは、それだけで心理的にプレッシャーがかかるものですよね。
特にその人間と一定時間会話によるコミュニケーションをとる場合とか、商談に入る場合とかは、それが更に増幅されるのではないでしょうか。
一般に、相手が日本人であったとしても、初対面の人と話すときには、それなりに警戒アンテナが働くものです。
ある程度相手の情報を入手してはじめて、ほぼ警戒感を解くわけですね。
相手が外国人の場合はなおさらで、警戒というレベルを超えて、言語的コミュニケーションが困難かもしれないという思いがそれにプラスされて、「警戒」が「恐れ」へと昇華するからではないのか?と、思うわけです。